小林幸生 2011
学校から駅までの道の途中の大きな神社の参道の銀杏の葉が、うっすら黄色になってくる。風に揺らぐ葉っぱの
間から洩れる日差しは少しずつ弱くなる。高峯高校に入って初めての秋は、どんどんと深まっていく。
1、会長論
生徒会があって遅くなるこの時間スポーツジムには、OL風、サラリーマン風が多い。だからわたしが登場すると、
ちょっと目立つ。きょうも、チラチラと見られながら更衣室まで行く。しかし制服から水着になればなんてことなく紛れ
られる。本当は部活で汗を流したかったが、生徒会が不定期なので、中学の部活は厳しくて委員会はまあみんな
同等だがそれ以外の用事で遅れて行くのは憚られた。生徒会が盛り上がっているためしょっちゅうあり、しょっちゅう
「すみまっせーん!」するのは厭だったので、部活を諦めた。運好く2期連続当選してしまったからだ。生徒会は
たのしい。部活を諦めるに値した。
「こんばんは」にこやかに挨拶して来るコーチも、声をかけてくるサラリーマンちもにこやかにかわしてタイム上昇に
勤しむ。恋愛しに来ているわけではない。女性とはそこそこ喋るが、同性愛の方に好かれたこともあるので、
一線は引いておく。
帰りは仕事帰りのおかあさんとごはんを食べて帰る。どちらかが待たせるのだが、毎日こんなことができるのは、
一人っ子の特権だ。おとうさんが混ざることもあるが、たいていはわたしたちより全然遅い。
きょうもジムのロビーで待ち合わせをして、目の前のココスへ。
「ほんとに仲良しねえ」受付のおねえさんに見送られ、おかあさんとココスに入り、ウエイトレスさんにも同じことを
言われる。おかあさんは満足そうだ。わたしは同世代の子達よりは母親がきらいではない、そしてきらわれて捨てられる
のは怖い、それだけのことなのに。
「藤木?」名前を呼ばれ、ビビった。ジムでは無論本名で登録し、コーチや受付には名前で呼ばれるが、大した
回数ではない。学校や家の近くでない場所で名前を呼ばれると、焦るものだ。振り返って驚く。
「あー! 会長!」我らが生徒会長、飯倉紫乃先輩だった。
「あ、おかあさん? ごめん邪魔して。初めまして、高峯高校の飯倉です」
「生徒会長よ」言い添える。
「お世話になっております!」おかあさんは勢いよく頭を下げた。「芽衣子(めいこ)は生徒会がたのしくて仕方ない
みたいで」
「こちらこそです。あ、おかあさん、後輩が居たの」会長のほうもおかあさんと来ていたらしく、レジで支払いを終えた
ところを捕まえて説明している。お互いに頭を下げ、こちらは母の会社の近くでわたしがジムを選びこんな日課なのだと
説明し、会長はフルートの先生のお宅がこの近くで、レッスンと面談みたいな話し合いがありきょうはおかあさんも来て
いたのだということだと話し、また学校で、と別れる。
「すっごい面白いのよ、あの会長。どう見たって優等生風、おとなしめな生徒なのに、発想がすごくて。脳ミソどうなって
るの、みたいな。淡々とさ、あの、ちびまる子の野口さんみたいで、ウケはもっといいけどね。わたしが藤木で、もうひとりの
1年が永田だから、ちびまるトリオって言われてるのよ」ちょっと興奮気味に話す。もう、学校から離れたところで偶然会っ
ちゃうなんてすごく嬉しいわけで、気持ちはかなり高揚する。
「あら、大ファンみたいね」
「もーほんと、尊敬してるの。フルートだって超うまいし」超かどうかは、素人のわたしが聴いたのではわからないが、とに
かく会長がやることは全て素晴らしいのだ。
「へー」
「わたしたちが当選する前は書記だったのね、わたし5月からでしょ、その前の役員、放送部の企画で私服披露したん
だけど、かっわいーのよもー」と言いつつもおなかが減ったのでメニューを見る。「あ、そうだ。昨日はこっちにしたから、
きょうはこれにしよう」
「どれ? あら、折角カロリー消費したのにもうホワイトソース?」
「わたしは体引き締めに行ってるわけじゃないもん。まあ、会長みたいに筋肉質でなく細いのは理想だけど」
「わたしは年齢的にやばいから塩だれにしとこう」
「塩分は大丈夫なの?」
「ぎゃー、なんにも食べられなくなるー」
「ウソウソ、おかあさん若いから大丈夫だよ」と呼び出しボタンを押す。注文が終わってウエイトレスが去ると、
「…あのことがあったから、会長さんみたいな女の子に走ったりしないわよね?」と遠慮がちにおかあさんは言う。
「バカなこと言わないでよ」ゲラゲラ笑う。「男でも女でも、暫く恋愛はいいよ。学校もジムもたのしいし、今幸せだもん」
笑いながら言う。おかあさんは安堵した顔になる。あーあ…ほんとに信じちゃうんだ、こんな一言で。わたしはお冷やを
飲みながら、安直な母を嘲笑った。
翌週も会長を見かけた。ココスの中から、前を通って駅に向かう姿を見て、ガラス越しにコンコンと叩いて挨拶を
する。真面目な顔をして歩いていたが、わたしを見ると笑顔になる。イヤホンをしている。手を振り、うちのおかあさんに
会釈して居なくなる。きょうはおかあさんは一緒ではないんですね、とメールすると、返事がすぐ来る。先週は特別な
話し合いがあったから、と。志望大を絞れていないのでねーとガッカリした顔文字。
「音大志望かー。うちみたいな進学校にいて、難しいだろうね」わたしはおかあさんに言う。「生徒会長で、そうそう
お馬鹿な点は取れないだろうし。前会長なんか万年首席だし」そしてたぶん、飯倉会長は水野前会長に片想いして
いる。しかし水野先輩は、更に前の会長、わたしたちと入れ替わりで卒業した女の先輩と付き合っているらしいのだ。
それがものすごいカリスマ会長だったらしいのだ。とても敵わないと凹んでいるに違いない。因みに現副会長の相原
先輩のおねえさんだそうだが…相原先輩って、どう見ても飯倉会長を好きだよねー。モタモタしてないでモノにすりゃあ
いいのに。て、人の恋愛って、なんでこんなに明解なんだろなあ。
「志望と言えばあなた、前に進路希望調査を前に悩んでたけど、もう出したの?」
「前って、もう随分前だよ、とっくに出した。未定って書いて」
「未定〜?」
「だって高校受験が終わったばっかりなんだよ、まだ考えられないよ」
暫くはのんびりさせてほしいのに、進学校はそうはいかない。間も無く三者面談なのだ。
2、三者面談
「問題ありませんね。生活態度も成績も、平均的に高得点、素晴らしいです」担任はわたしをそう評した。「逆に
これだけみんなできると、将来の希望は定まりにくいんでしょうか。文系理系だけでも決めないと、2年生の選択
教科に響きますよね。藤木は、なりたい職業とか、無いのか?」
「無いんです。なんか、どれもこれも向いてない気がして。好きなのは水泳なんですが、オリンピック選手になるほど
では」
「水泳か」往年の人気俳優みたいな濃い顔立ちの先生は、大きく溜息をつく。「えっと、おとうさんは設計士、おかあ
さんは不動産関係の経理…ってありますね、建築系なんですね。そっちには、興味無いのか?」
「んー…どうでしょう」皆無だが、濁しておく。
「パソコンに強いとか」
「まあ、普通です。生徒会で言うと永田ほど詳しくないけど、母よりはできます」
「ちょっとー! あ、すみません…」おかあさんはこどもみたいだ。先生は笑いながら、
「2年の選択教科を決める3学期まで、よく考えておいてくださいね」と終わりにした。たぶん先生は、面倒に思って
いる。多少成績悪くたって、目的が定まっているほうが楽だろう、それはわたしも解るけど。
教室を出て次の親子と挨拶をし、一緒に帰る。
「もう銀杏、きれいだよね」
「そうね。歴史ある由緒正しい神社へ続く道。風情があるわ」おかあさんは目を細めて、遠くに見える鳥居を見た。
しかし途中で参道を出て、駅のほうに曲がりかける。
「ね、ちょっとお詣りしていかない?」
「ん? いいわよ」真っ直ぐの道に戻る。鳥居までは意外と遠かった。
「そう言えば生徒会で、初詣行くらしい、此処に。前期にいらした3年生と」
「あら、いいわね」なんでもない日なのに、屋台が出ている。「何か食べる?」
「今はいいや。帰りにおなか空いてたら、買ってー」
「うん」
「わっ、おかあさん、見て」鳥居を潜り、驚愕した。平日の午後なのに、結婚式をしていた。土日にやるイメージが
あるのに。白無垢の新婦、袴の新郎はカッコよかった。和風って、カッコいいんだな。家族だけでやっているのか、
人数は少なかった。
「きっとお式は此処で家族だけでして、夜にお友達や恩師を招いてホテルとかで披露宴するのね。海外で家族でっ
てのもあるけど、いいわね」
「いいね、いいねー」
「芽衣子もいつかこうなるのね」
「わはは、恋愛する気ゼロ、卒業後したいことも決まってないけどね」
「嬉しいけど寂しいんだろうなあ…」ぎゃー、そういうこと言えちゃう?! わたしは多少ゾクゾクしつつも
「まあ、結婚したって、おかあさんとはずっと仲良しだよ」と言う。はー、白々しく聞こえてないことを祈るよ。いや、その
つもりだけどね? 口に出して言うのは白々しいじゃん。
「もー、芽衣子がわたしの子でよかったー」抱きついてくる。
「ちょっとおかあさん、甘えすぎー」そのとき今来た参道のほうに、見覚えのある人影が見えた。今のは…ちびまる
トリオのひとり、永田だと思う。ひとりでこっちのほうまで来る? うちの高校の生徒は、さっき曲がりかけたあそこで
曲がるのが普通、こっちへ来るのは遠回りなのだ。「ちょっと待ってね」参道のほうへ戻ると、鳥居の中へ入らず脇へ
逸れてすたすた歩いている後ろ姿が見えた。そう遠くないので「永田!」と呼ぶと振り返った。「なんでこっちのほうに
居るん?」
「おれ、こっちでバイトしてるんよ」
「え、何の?」
「ねこカフェ」
「何それ〜!」
「ビラ、見る?」チラシを見せてくれ、理解する。要するに誰かのうちの広い居間みたいにしたとこでオーナーが数匹の
ねこを飼っていて、お客さんはそこでねこと戯れながらお茶を飲んで過ごす場所だ、というのだ。「入場料700円、
飲み物代別、2時間まで」
「行ってみたい!」
「高校生には高くない? 藤木はバイトしてないでしょ?」
「きょうはスポンサーが居ます! おかあさん!」まだ神社に居たおかあさんは出て来て、永田と共に驚き合っている。
「あ、ど、どうも、生徒会でお世話になってます、永田光樹(こうき)です」
「あらっ、いつもどうも、藤木芽衣子の母です」事情を説明すると、「いいけど、働いてるところ見られるの、厭じゃ
ない?」と永田に聞いている。
「べつに」
「行こう、行こう!」わたしはふたりの腕をひっつかんで前へ。
「藤木、そこ、右だ」
到着すると受付のおねえさんが
「あれ、光樹くん、きょう休みになってるよ」と言う。
「え、きょう木曜日ですよね?」
「待ってね、シフト確認する」後ろの扉へ消え、すぐ戻る。「木曜日、今月はきょうだけお休みだね。削られてる」
「うわ、あるもんだとばっか思ってよく見なかった!」
「そうなん? じゃあ一緒に入ってこーよ」
「へ?!」おかあさんは飛び上がる。「わ、悪いわよ。わたし帰ろうか、あ、いや、でも…」おかあさんはあたふた。
「そうですね、よかったらご案内しますよ」永田は到って普通に、財布を出した。
「あ、じゃあせめてお金は!」おかあさんは阻止して入場料を3人分払う。
「いいんですか…」
「ありがとう!」
「ちょっと待て、中へ入るとき、ねこたちが出ないように気をつけて。あと、びっくりさせないように静かに!」
「そうなんだ」扉の近くには居なかったのですっと入る。「うわー…」ねこの遊び道具がいっぱいある部屋でねこが遊んで
いる。先客がいて、にこやかに会釈して、そして放っておいてくれた。
「こーゆーので、構って構ってしてもいいんだけど」フェルトと針金でできたねこじゃらしを出す。「実はそうやってもなかなか
ねこは来てくれない。ほっといたら、いつの間にか胡座かいてるこういうとこへ来たり。ねこってあまのじゃくだから」永田は
無表情だがいろいろ説明してくれた。不思議だ。制服ではあるがこういう居間みたいなとこで絨毯にぺたんと座り、
おかあさんと3人でねこの話をする。へんな三者面談だわ。迂闊に無知な発言をしたら、「ねこ、飼ったことないね?」と
言われる。
「うち、マンションだからねー」おかあさんがわたしにすまなそうな顔をする。
「そうそう、飼いたいけどねー。永田は飼ってるの?」
「うん、うちには4匹いる。きょうだいでね、親の代から飼ってるんですよ」おかあさんに顔が向いているときは、
ですますになる。「6匹産んだけど、2匹は育たなかった。里子に出すつもりがかわいそうで、引き離せなかった。
親はもう成仏。うちも4人きょうだいだから…」
「えっ」
「あ、いやきょうだいも親も死んでない」
「そーでなくて!」ゲラゲラ笑う。「純粋に多いなって」
「藤木、一人っ子だっけ。…なるほどねー」
「なに、なるほどねーって」というかんじで話が弾む。生徒会では1年生ふたりだけだからなんとなく一緒にいるが、
こんなに間近で見て話すのは初めてな気がする。意外とおしゃべりやなー、と悪気無く思い、眼鏡の奥の目と長い
前髪は、なんとなくあの人を彷彿させられ、静かに目を逸らす。おかあさんは永田と別れてから、
「やっぱり高峯高生は、なんかそのへんで見る子と違うわよね」と呟いた。決して、あんな子と付き合っちゃダメとか、
いーわねーゲットしなさいよとかではない。解る気がして、ちょっと笑った。
1匹、わたしから離れないねこが居たので、別れ難かった。
「三毛猫は遺伝子の関係で、ほぼメスなんだよ。オスだとテレビに出るくらい。こいつもメス。藤木は女子に人気ある
からなあ」永田の言葉に苦笑するも、そのねこの顔と名前は忘れないようにした。まあ、なぜかココス、いつも行くファミ
レスの名前だから忘れないけどね。
3、歴代書記論
朝から会長に会い、ふたりで登校する。
「文化祭の速報、藤木が書いたじゃない、今更ながらすごく好評でね。放送部部長の門脇が、ここ何年かの生徒
会報の特番組みたいって言ってた。メアド教えていい?」
「えー、なんすかソレ!」
「なんか、藤木と鮎川と一条先輩と雨宮先輩とわたしとで、クイズ番組にしたいって」
「ク、クイズて! 3年生忙しいんじゃ…。鮎川先輩はなんて?」
「やるー!だって」
「わほー、軽い!」
「1年生居たほうが活気あるしさ、やらない?」
「い、いっすけど」
「よっしゃ、決まり!」
例の相原先輩のおねえさんであるカリスマ会長の頃から、新聞も活気づいてきた。火蓋を切ったのは現3年生の
雨宮先輩。独特な絵と字で好評を博す。続いて出てきたのはやはり3年生の一条先輩、ミスター高峯高校ていう
のは別の話題だがその人気もあり、しかもなんと書道7段。達筆でビシリと描きつつ、毎度おかしな漫画のコーナーが
ある。「それゆけミズノ」。無論水野会長のこと。おかしすぎる。雨宮先輩が文芸部に入部して現在会長の飯倉
先輩が登場、活字のような字でやはり絵を入れつつ。毎回ナビするキャラクターが違う。ちびまる子の野口さんのことも
あった。彼女が会長になりわたしが書記になる。べつに変わったことはないが、爆発的吹き出しを多用するのがウケて
いる。で、一条先輩が引退して鮎川先輩が現れる。 初のパソコンの名手、グラフィックデザイナーのように新聞を
作る。無論県立高校、白黒の印刷機製作だが、すべてパンチがあるのだ。それを。特集するって。流石は元生徒会
役員の放送部長。目のつけどころが違う。
その日の放課後、門脇先輩から一斉メールが来て予定を聞かれ、みんな土曜や放課後ならば問題が無く、
日取りが決まる。例の、不定期公開放送観覧会、決行。しかし気づいた、やりとりに、雨宮先輩が参加して
いない。のに、門脇先輩は話を進めてしまう。裏で、出ない、出なくていいとかあったのだろうか。わたしは門脇先輩
とも雨宮先輩とも面識無いため、食い下がって先輩はと聞くことはできなかった。
前日にメールで簡単な台本が来て、その日になる。晴天だったので中庭でできた。舞台裏にスタンバイしていると、
まだ来ていなかった一条先輩が雨宮先輩を連れて来た。あれっ、と思う。会長たちはメールに参加していないことを
へんに思っていなかったのか、ふつうに挨拶している。あんまり愛想の無い人だった。門脇先輩がきょうのディレクターと
共に顔を出して挨拶した。雨宮先輩を見て、芝居がかった笑みを作る。そうか、このふたり、何かあったね。わたしは
また安易な妄想をする。ま、関係無いけどね。しかし番組中あのテンションだとまずくないか、と思いつつ雨宮先輩を
見る。
オープニングで紹介され、次のお題私服チェンジの説明がされ、CMと称して、文化祭で人気が出た2年男子の
超新宿みたいなコントをやる5人組が繋いだ。それぞれ私服に着替え、舞台へ。きょうのお題はみんなでハイキング。
わたしは筋肉質の体を隠すボカボカ系ナイロンパーカーに膝丈ワークパンツ、バッシュ、野球帽。全てユニクロです!
で行く。なんかかっこいいと評された上、
「雨宮さんと縮小、拡大コピー!」と司会に弄られる。
「でっかくてすみませんね!」
「ちっちゃくてすみませんね!」雨宮先輩がノってくれた。おわ、なんか嬉しい。確かに雨宮先輩とわたしは、髪の短さ、
色が似ていた。で、服は色は違うがおんなじかんじなのだ。
「いつも清楚な飯倉さん、初のスポーティーです、ドーン!」かわいい! オーバーオールだ、フリースパーカーだ!
しかも淡いベージュで小熊みたいだ! ニット帽は焦げ茶色。「険しい道には行く気0ですね。そして鮎川さん、一条
さんはカップルみたいですよ」
「色目似ちゃいましたねー」エディ・バウアーの広告に出ている外国人モデルのようだ。ジーンズ、足長っ! ブーツが
登山靴風。
「ふたりとも、カッコよすぎです。きょうの審査は、ヒーコさんが盲腸で入院中なんで、代わりにタツコデラックスさん、
いかがでしょう」
「個人的には扱き下ろしたいけど、みんなやってくれちゃってるのよねっ」似てるだの似てないだのと声が上がる。「よし、
決めたわよー、1位飯倉、あと全員2位!」
「おー、飯倉さん、まさかの3冠です!」
「すごい先輩!」わたしは思わず拍手。「センスありってことですね」
「まー、タツコやヒーコの審査はよくわかりませんがね。さて、CMのあとは、いよいよクイズです」
一度舞台裏へ。麦茶が用意されているので飛び付く。
「ありがたし、暑い!」
「今、何やってるんですか、CM」鮎川先輩、敢えてか雨宮先輩に話しかける。
「さっきのメンバーが新ネタやってるみたい」
「見たい!」
「さっきは?」一条先輩。
「文化祭でやったやつ」
「なるほど。何回見ても面白いもんは面白いですもんね」雨宮先輩や一条先輩と、鮎川先輩は知らない人ともガン
ガン話している。すごいなー。日本的な美人で、グラフィックデザインの才能もあって、自信があるからだろうか。飯倉
会長はフリースを脱ぎ、腰に巻いていた。
「藤木は脱がないで平気? あっついわー」長袖Tシャツになるが、細くて羨ましい。わたし脱げないやー(笑)。
「前全開でいきます!」
「そろそろお願いしまーす」ADに扮したクラスメイトが来た。
「かじやん、かっこええなAD」
「おまえの男前私服には負けるわ。あ、はい」表から言われ、「ではスタジオにお願いしまーす」ぞろぞろと舞台に
上がる。クイズ番組のセットになっている。速押しボタンはアナログだがあり、フリップとペンも用意してある。
「どんなクイズだろね」
「就任順でお願いします、名前が前についてますから」わたしは2年生の間だ。司会が芸人さんたちを退場させ、
早速切り替わり、クイズとなる。
「実は1年生藤木さんにはちょっとわからないかなという問題もあります、ですから、ハンデで5点差し上げます」足下の
黒子さんが、回答台の前の得点板を5にしたらしい。こういうところはお金かけられないが、おもしろいからいい!
「やったー」
「では、速押しクイズです。第一問、今の2年生の入学式で配られた号外の新聞の書き手はだれ?」キンコーン!
「雨宮さん」
「相原多香子!」確かにこれはわからん。
「正解」
「わかってたのにー、おめー、はえーよ」
「えー、雨宮先輩だと思ってた」2年生たちは「わたしたちもハンデ欲しい!」と言い、却下される。
自分が書いたのの問題でも意外と忘れてたり、第何号と言われるとわからなかったり、なかなか得点できず。関係
無い漫画の問題とかで稼ぐが届かず。
「優勝は、雨宮さん! 景品は、シャーペンの芯50ケースです。これで受験がんばってください!」
「いらねー」
「飄々としながら、もってったなあ」一条先輩は苦笑。確かにな…。あんまり盛り上げようとしてなかったけど、
そのテンション、逆によかったかも。。。
一条先輩は別室で着替え、女子だけで更衣室で話したが、やはり鮎川先輩が中心になっていた。
「飯倉、時間ある? 学食でごはん食べていこう。雨宮先輩、藤木もどうっすか」
「折角だけど、わたし予備校行かないとだから」雨宮先輩はもう鞄を背負っている。「じゃあまたね、たのしかった、
ありがとう」出ていく。間もなく着替え終わってカーテンを開けると、一条先輩と雨宮先輩が校門を出ていくところ
だった。
「あれっ、もしかして怪しいのかな、あのふたり」鮎川先輩が驚愕している。
「すみません、わたしもちょっとスイミングなんで、これで」わたしは先に失礼する。
「あ、うん、じゃーね」
「お疲れ様」
「また月曜日」戸を閉めて廊下に出て、ふたりの3年生に追い付かないように余り速すぎないように歩いた。中庭の
ほうを見ると、相原先輩が放送部の片付けを手伝っていた。さては、見に来ていたな。飯倉会長が出るからね。
昇降口のほうに向き直り、外へ出る。
ジムのプールでは、久しぶりにバタフライで泳いだ。わたしという蝶は、翔ばずに沈む。
4、古株2年生論
水野先輩が引退されて、もうひとり2年生が副会長に就任したものの、やはり飯倉会長がひとりだちして頼りにして
いるのは、ずっと一緒にやって来た相原先輩である。
1年ふたりがでっかいせいで、まあ水野先輩もだが、相原先輩や飯倉会長はちっちゃいちっちゃい言われ、
弄られる。その点でもいいコンビだ。だいたい、わたしみたいなおっきいのは、相原先輩みたいに可愛い系男子の恋愛
対象外とは思うが、まさに飯倉会長を好きらしく、見ていてなんか応援したくなってしまうのだ。ふたりとも大好きだし。
飯倉会長が水野先輩を好きでも報われないし。
11月頭に文化祭が終わって、生徒たちはもう、12月頭の期末モードに入っているが、生徒会はその後の予餞
会について話し合う。早め早めにしないと、自分の期末に影響する。
「水野先輩の卒業って、おれたちからしたら、相原多香子の卒業よりデカイよな」相原が言う。それは姉だからの
謙遜ではなく、ほんとにそうなのだろう。相原先輩が副会長になって水野先輩を支えていたときは、例の門脇放送
部長しかいなくて、飯倉会長も相原副会長も富永会計も、彼女が引退してから入った組だ。わたしと永田もそうで、
鮎川先輩は更にその後だし。
「…関係無いけど、一条先輩と雨宮先輩って、いい仲だったりする?」鮎川先輩は、気になっているみたいだ。一条
先輩に惚れたか? 唯の興味かな?
「さあ。まあ、おれは水野先輩と3人で居るの、よく見るけど」相原副会長がプリントを見たまま言う。「ふたりとも、
あんま男子とか女子とか拘りなく喋るからわかんないよね」
「あ、この合唱部の30分って、いいの? 長くない?」飯倉会長もプリントを見ている。わたしが書いたので、
「あーはい、確かミュージカルやるって。ほかの参加団体の許可も出てます」
「あー聞いたね、ごめん」
「先輩、疲れてませんか。そーゆーの絶対忘れない人なのに」言いながらつい副会長を見てしまう。わー、超心配
してるー!
「本番続きだったっけ」富永先輩も心配そうになる。
「だ、大丈夫、今度の土曜日は15時間寝る予定だから!」会長は笑ってみせる。
「でも日曜日はまた本番なんでしょ、きっと練習するよあんた」富永先輩の冷ややかな分析。
「まーでも寝てからやるよ」
「無理すんなよな」相原先輩は、一言だけ言う。わたしはなんか、長々といろいろ忠告するよりいいなあと思った。
生徒会の人たちって、なんでこう、いいかんじなんだろね。ねこカフェ以来の永田をチラリと見る。永田はわたしの隣で、
肘をついて背中を丸め、何も言わずに眉毛だけ困らせている。これは心配している顔だ。しかし1年男子、迂闊に
2年女子への心配を表に出せない。相原先輩の気持ちに気づいているかもしれないし。
いろいろと決めて、解散になった。わたしはひとりになった富永先輩に
「久しぶりに会長の演奏聴きたいんですが、日曜日って聴きに行けますかね? 先輩、行きます?」と聞いた。
「あ、ピアノなんだけど、いい? うちのおかあさんの生徒で受験関係の子ばっかりなんだけど」おお、ピアノもいいな!
「じゃあ企画しようか、きょうメールする」
夜になり先輩から前みたいに会長以外に一斉メール。今回はゲリラ、内緒で行くらしい! わたしが速攻行くと
一斉返信すると、そのうちおずおずと、相原先輩から行こうかなと返信。超行きたいくせに! ほかに行ける人は
居なくて3人になった。
当日、前回わたしは制服で行ったがみんな私服だったから、私服で行くか、と検討するが、あまり制服と変わらない
ロンドンの寄宿学校の生徒みたいになった。富永先輩は相変わらず高そうな、しかしきょうはツーピースで中ではジャ
ケットを脱いだりしていた。期待の相原先輩は、きょうは半ズボンではなかった。濃紺のコーデュロイパンツに黒ギンガム
チェックのワイシャツの襟を出し、白い大きめのカーディガン、この前のスクエアリュック、靴は濃紺で銀のエンブレムみたい
なのがついてる。
「か、かわいい!」富永先輩とわたしの声が揃う。
「かわいいって…全然褒め言葉になってねーし!」
「わたし褒めてない」富永先輩はバッサリ。
「わ、わたしは一応褒めたんですが」
「一応ねー」し、しまった…。
「カッコイイと言われたいなら、そういう格好すりゃいいじゃん」
「一条先輩みたいな格好は似合わないし」
「せめて水野先輩みたいにカッコかわいいとこ狙うとか」
「おれ、先輩の真似なんかしない」
「でしょうねー」
「なんだよ藤木、なんかひっかかる言い方だな」しまった、声になってた!
「あ、いや」
「まあいいじゃん、相原の服ごとき。行こう」
「ああ?」
「きょうお菓子にしよう、3人で1000円くらいがいいよ。ひとり300円、端数はバイトしてる相原が払う」
「えー」
「先輩バイトしてるんですか、何を?」
「喫茶店。水野先輩の後釜で」
「へー」
「永田もバイトしてるんすよ、わたしもお金使ってばっか居ないで、しようかな」
「使ってばっか?」
「習い事を…スポーツジムのスイミング」
「へー、すご」
「それはそれでいいんじゃない? 有意義だ」
菓子折を買い、ホールへ。てか、きょうはホールか。前のときより広い。富永先輩のおかあさんは勿論、飯倉先輩の
おかあさんもいらした。
「あら、ココスで会った子ね。知ってる子ばっかり来てくれて。ありがとう」
プログラムを見ると、先輩は1番だった。始まると客席は暗くなる。舞台だけが明るくなり、濃いブルーのワンピースの
会長が現れ…弾き始めたその曲は、プールに沈み込んでたゆたっているような、そんなかんじだった。そしてだんだん
高揚していく。沈んでいた蝶は、飛翔するかのように…曲目を確かめると、メランコリーとあった。憂鬱? 憂鬱なん
だ…イメージの違いに、愕然とする。まあ、素人耳だしね。明るければ短絡的に憂鬱とは思わない。
拍手が起こり、やけにほっとした顔になって立ち上がり、前を向きお辞儀をする。こちらを見て驚かないかと思ったが、
全く気づかない。
全部終わってから、出て来た会長に挨拶に行く。
「えーっ、なに、来てたの?!」超驚いている。
「藤木が聴きたいって言うから、企画してみた。永田とかはバイトで。宜しくって」
「恥ずかしい、きょう、めっさ入っちゃってたんだ」
「それくらいでえーやん、そーゆー曲なんだし」富永先輩は、やはり詳しいらしい。
「反省会後日で、きょうはもう帰れるんだけど、少し待てる? ホールだから片付けも楽屋だけだし」会長の言葉に、
逸早く相原先輩が
「おう」と言ったので、にやける。ロビーで待っている間、
「わたし帰ろうかな、富永先輩、先帰りません?」と言うと、相原先輩は本気で慌てて止めるので
「なに、あんたそうだったの?」と富永先輩。判ってなかったのか。
「違う違う、誰が相手でも、突然ふたりにされたら焦るだろうが」
「ふうん…」
「信じてないね? 藤木はニヤニヤしてるし」
「お待たせー」飯倉先輩がご両親と現れる。
「父です」
「わっ、はじめまして」
「ギリギリになっちゃって、先に挨拶しなくてごめんね。お菓子貰ったそうでありがとう、わたしたちは帰るから、お友達
同士たのしんでいらっしゃい」若いダンディーなおとうさんだ。
「はーい!」
「先輩、その服もかわいい」歩きながら、舞台衣装から着替えて来た飯倉先輩を褒める。オレンジ系のチェックシャツ
ワンピにレギンス、羽織っているカーディガンは相原先輩のみたいな白。「またQなんですか」
「そんなにたくさんは買えないよー。このへんはヨーカドーのセール品だよ。相原はまた、靴がQだね」
「なんか、実はQの服まだ買ったことない」
「靴と鞄しか買わないって、へんなのー」
「富永はまたローラ・アシュレイ」
「おかあさんが好きなのよ。音楽仲間で一緒に買いに行くし」
「すごいなー、わたし全てユニクロですよ」
「いや、いい。ユニクロはいい!」そんなふうに話しながら店を物色するが、結局珍しいところではなくデニーズ。
夕ごはんを注文する。なんとなく進路の話になり、とりあえず3人とも志望大は定まったみたいで、富永先輩は文系
準備クラスだが理転して獣医になると言う。相原先輩は小学校の理科の先生。へーってかんぢだ。わたしはまだ
決めていない、得意教科というのもこれと言って無くて、文系か理系かも判らないと言う。
「まあ、これからいろいろ出会うさ」
「因みになんで小学校の理科の先生なんですか?」
「なんとなく理科系の教科は好きだったんだけど決めかねてたのね。で、うち、おとん居ないんだけど、叔父に聞いたら、
どうやら小学校の理科の先生だったったらしい。実験大好きって言うし」笑う。「なんか、やってみたくなった。実験、あと
児童会イベントに明け暮れたい」
「えー、そうなんだ」おとうさんが居ない自体初めて知った。ふたりもそうらしい。
「富永先輩の獣医ってのは」
「飼ってたいぬをね、知識不足で死なせちゃったんだよ、だから。あー、暗くならないで! 飯倉は? フルート以外
考えなかったの?」
「勿論、考えた!」笑う。「うちは音楽家の家系ではなくて、なんとなくピアノでもやらせてみようかってかんじになった
らしく5歳からやっててね、中学でブラスやるまではフルートなんて触ったこともなかった。なんか中学の部活厳しくて
疲れちゃってね、高校では部活でやらなかったの。で、離れたらやりたくなって、個人で習い始めて、決めたんだけど、
やっぱりちゃんとやろうとすると辛いんだよ。で、いろんな職業を夢見る。でもやっぱり、あの離れていた時期の気持ちを
考えると、フルートしか無いのかなあって」
「へー」
「藤木は、水泳とか…」
「そこまで速くないんす、生徒会当選して諦められる程度、スイミングだって、そのあとのファミレスごはんが目当てだし」
笑われる。なんにも決まらなくても、なんとなく幸せな時間だった。わたしはこの3人が大好きだ。鮎川先輩ともう
ひとりの副会長岡安先輩も勿論好きだが、なんかガツンと来るよさがある。後ろから見守ってくれてるかんじのリーダー
なのだ。富永先輩だけ破天荒に明るいが、決して前に出てこないし。
「ねえ、今度生徒会役員でさ」富永先輩が帰りがけに言う。「恋バナしようよ、面白いと思うよ」相原先輩は案の定
蒼白になって、
「おれ、やだ、そういうのは女だけでやれよ」と手をブンブン振った。富永先輩はゲラゲラ笑い、飯倉先輩は苦笑して
いた。そんな席で水野先輩を好きとも、言えないよなあ。
わたしの話も、恋愛ではないけど、ちょっとみんな引いてしまうだろうから話せない・・・。
5、兄論
恋愛の話をしようと言われたら、わたしにはする話が無い。初恋は一応、した。小学校3年、周りよりはかなり
遅く、隣の席の男子で、先生に見えないようにふざけてわたしを笑わせるような子だった。その子はだれにでも面白く
やさしかったから、わたしが特別ではないと解っていたし、彼に好きだとは言えなかった。そして4年でクラスは別れたし、
6年の修学旅行で学年一かわいい女子と付き合っている噂が流れ、そうか、と思って終わった。それだけだ。そんな
淡い初恋より、わたしには大きな事件があった。
一人っ子として育てられて来たわたしが、あの人に兄だと名乗られたのは、中3になったばかりの頃だった。それ
までに、その人は何度も見ていた。当時うちはマンションの3階の角部屋で、玄関扉の前に立ち左を向くと、隣の
マンションが見えた。
下手すると生活している人が見えてしまうので、なるべく見ないようにしていた。学校へ行く時間、帰る時間はほぼ
毎日同じなわたしは、ある朝、その隣のマンションの2階の端の部屋の窓に、人影を見た。完全に、二度見をした。
窓にもたれてこちらを向いて、煙草をふかしている、大学生くらいの男性で、目が合ってしまう。やば、と目を逸らす。
帰りに気になってそちらを見ると、机に向かいながら顔をこちらに向けている。見ていないフリでうちに入る。何度かそう
いうのが続いたが、そのうち手を振ってくるようになり…返しはしないし、見ないように努めていたが、そのうちコンビニで
会ってしまう。そのときはまだ中2だった。
「よっ!」肩を叩かれ、振り向くとその人がいて、すぐにあのマンションの人だとわかったが、なんとなく身構えてしまう。
彼はお構い無しに「きょうもさみーなー」と言い、行ってしまった。単に人なつこいだけなのか? それから何回か外で
遭遇し、害が無いのは解ったのでこちらも窓から手を振る姿に頭を下げることにした。だんだんと会えば喋るようになり、
進級した頃衝撃の事実を知る。まず、名乗ってはいなかったのに名前を知っていた。
「芽衣子は、おとうさんやおかあさんから、一人っ子だと聞いてきてるよね? にいちゃんが居たとは、聞いてない?」
「え?」
「言わないか、ふつー。おれがね、その、にいちゃんだって言ったら、信じる?」
「………」
「うちには、一緒に撮った写真がいっぱいある。よかったら今度、見においでよ。まあ、無理にとは言わないけど」
その晩、おかあさんに
「わたしって、一人っ子だよね?」と何気無く聞いたら、
「え? 勿論そうよ」と言う。でも、目は泳いだ。それは見逃さなかった。翌日おかあさんが帰宅する前に自分のと、
おかあさんのアルバムを見た。同じようなかんじで、わたしが想像した、わたしより前に赤ちゃんを笑顔でだっこしている
ような写真は無かった。あとは、あそこだ。まだ分類してないという写真の入った封筒。あそこの引出しに…新しいもの
しかないかもしれないが…。
しかし1枚だけ、あった。2歳くらいのわたしが、年長さんか小1くらいの男の子と遊んでいる、古びた写真。あの人
かどうかまではわからないが、年齢差はそれくらいだろう。わたしはそれ以外の写真を丁寧に戻し、居るかわからない
が、あの人の部屋を訪ねた。うちから見えるとおぼしき場所にある部屋のネームプレートは何も入っていなかった。
呼鈴を押すと、インターフォンで『はい』と聞こえた。
「藤木芽衣子です」
『ああ…ちょっと待ってね』2、3秒で、鍵が開けられ、ドアが開く。わたしを見て、少し笑う。見上げながら、こんな
時間に居るって…まだ春休みなのかな。いや、大学生なら、講義が無い日もあるか、と思う。
「これを見つけて…あなたの話はほんとうかなって」写真を見て
「ああ、うん。そうか。どうぞ」中を示す。ちょっと怯む。「あー、まだちょっと怖いか。じゃあ、ここに座りなよ。写真持って
来るから」上がり框を指し、中へ入ってしまう。反論もできず、ドアを閉めて玄関に入る。返してもらった写真を手に
立っていると、「珈琲飲める?」と聞いてきて「座んなよ」と笑う。
「あ、はい」しかし扉のほうを向いて座るのはへんなものだ。横向きに座り、
「紅茶と日本茶もあるけど」という声を聞いて
「ありがとうございます、なんでも」と答える。
「じゃあおれが珈琲飲みたいんで、珈琲ね」通路の左がキッチンらしく、消える。少しして通路のむこうのドアを開け、
開けっぱなしなので中が見えてしまうが、日当たりのよい、こぎれいなダイニングだった。アルバムを持って出て来て、
それをわたしに手渡すと、またキッチンへ。珈琲のいい香りが立ち込める。
「ひとり暮らしなんですか」表紙を開きながら聞く。
「うん。きみのおかあさんの友達がね、こどもができなかったから、おれをその人にあげたんだけど、新しい両親と静岡
県で暮らして、大学はこっちのをうけてね、ひとり暮らししてたら、たまたまもとの家族が居たってわけ」
「あげるって…」確かに、わたしが生まれてとなりでうれしそうな男の子、もう少し大きくなって一緒に遊んでくれている
男の子の写真がいっぱいあった。この子の七五三の写真には、両親が若い姿で居る。わたしはまだ居ない。その
直後くらいにわたしが生まれた写真。やはり年齢差は5つか6つ。「何歳だったんですか、別れたのは。あ、いただき
ます」出てきた珈琲は、ものすごくおいしくて、トレイにさとうとミルクもあったが、入れなかった。
「7歳、小2。全て話されて、納得して行った。新しい両親はいい人だったし、きみに会えない以外は幸せだったよ。
ほんとにかわいかったんだから。おれの後をハイハイでついてきてね」こんな誉め方、されたことないからな、照れる。
その人は少し奥に、壁に背をつけて座り、自分の珈琲を飲む。赤いパーカーに迷彩色のワークパンツ、派手だなあ、
と思う。
「いやだって言わなかったの」
「言ったけど。まあ説得されたね。こどもながらに抗えないって判った。だから、この写真は黙って持って来て隠して
いた。新しい親も、これを見たら厭だろうし」
「さみしくなかった?」
「さみしかったよ、仲間外れにされたみたいなかんじ」
「なんでわたしじゃなかったのかな」
「芽衣子は病気がちだから、人にあげるのは憚られた。ほんとうなら男は跡取りだし、記憶無いほうを渡したほうが
面倒はなさそうだけどね」
「わたし、病気がちだったんだ」
「うん。で、体力つけるってんで乳児スイミングを始めたんだよ」
「そうなんだ…」わたしが健康なら、この人はそんな目に合わずに済んだのに。「…ごめんなさい…」
「えー、なんで? 芽衣子はなんにも知らなかったんだから、謝ることないよ」いきなり頭を撫でられ、ドキリと
する。「だれも恨んでないし、会えて嬉しいんだよ、おれは」心地よい大きな掌は、やがて引っ込み、またマグカップを
持った。
「おにいちゃんって、呼んでもいい?」
「うん」
「名前は、なんて言うの?」
「拓真。真実を拓くって字。今の苗字は、深沢」
「また、来てもいい?」
「うん。この時間だったら、水金は居る。あとは学校だったり、アルバイトだったりだけど」
「じゃあ、水金、来る」
「そんなに来なくても」笑う。
「だって、今までの時間を埋めるには、それくらいは来ないと」わたしはなんだか必死になっていた。来てどうしたいのか
何も考えないで言う。ただ、約束が欲しかったのかもしれない。兄と、この先も会えるという確証が。
両親には言わなかった。他人にあげてしまったことを責めてしまいそうだったからだ。
数回訪ねて、夕方の再放送のアニメを一緒に観たり、おやつを一緒に作ったり食べたり、パソコンを教えてもらっ
たりした。
煙草を吸うのでいくつ?と聞くと19と言う。
「法律違反!」
「高校卒業したら煙草もビールも解禁でしょ」
「あんまり、身体にもよくないんでしょ?」
「ああ…じゃあ、やめる」煙草を揉み消し、灰皿を流しで洗う。煙草の箱もごみ箱へ投げ入れる。驚いて見ている
と、「芽衣子に心配かけたくないから」などと言ってくれちゃう。
ダイニングの脇にうちの玄関前から見える窓の部屋があり、そこからうちを見たりした。此処からはうちの中は見え
ないので安心したが、すぐそばにベッドがあったので、ちょっといたたまれなくなり、二度とその部屋には入らなかった。
まあ、おにいちゃんはおにいちゃんなので、わたしをそこへ押し倒したりしないだろう。そんな気があるなら、とっくにダイ
ニングで床に押し倒しているだろう。
「ねえ、最近夕方どこへ行ってる?」おかあさんに言われたときは
「なんで?」と言っていた。
「近所の方がね、よく隣のマンションに入って行くのを見るって、忠告してくださったのよ。あそこ、ひとり用1DKだって
いうから、心配なのよ」
「そうなんだ」ひとり用とは知らなかった。まあ、おにいちゃんはひとりで住んでるけど。「おかあさん、友達に深沢って人は
居る?」言いながら、奥さんのほうだったら違うか、と思う。
「…いっぱい居るわね。静岡県には、多い名前だから」少し、間があった。「でもなんで、今その話をするの? 先に
おかあさんの質問に答えて」
「ムーミン観てる」
「どこで?」
「うちで」水金以外は。
「信じていいのね?」
「…もし、その噂がほんとうなら、何か問題あるの?」
「だって、男の人の部屋だったらね、もう習ったでしょ? ふしだらなことを、してなくてもしてるって噂になって…」
「女の人ならいいの?」
「あ、いや、でも、よくない。よそのおうちだし、女の人だって、女の子に発情する人はするし」
「うん、女の子の後輩に告られたこと、ある」
「なら尚更、警戒してちょうだい。とにかく、よそのおうちに入り浸るのは、だめ。そのおうちの方がいいって言っても、
内心ではご迷惑なんだから」
「………」答えなかったが、おかあさんは何も言わなかった。
幸い翌日からは土日、行かなかった。月曜日と火曜日は、おかあさんが仕事を早退したのかつけられてるのが
判った。でも月火は行かない。うちで部屋着に着替えて、ムーミンを見ながらお菓子を食べる。宿題もする。
いつもの時間におかあさんは帰って来た。明日もつけて来るのかな。どうしよう。
翌日もやはりつけて来たので一度うちに帰り、外におかあさんが居なくなるのを見計らってからうちを出る。
やっぱり、どうしても会いたいのだ。近くにおかあさんの影は無かったので、隣のマンションへ行った。おにいちゃんの
部屋の呼鈴を押した瞬間、いきなり階段のほうから呼ばれた。
「芽衣子」
「あ…」おかあさんだ。やば、気付かなかった。
「やっぱり来てたんだ。どうせだから挨拶をしましょう。娘がお世話になってますって」
「えー…」
「親として当然でしょう」しかしさっき呼鈴を押したのに反応が無い。仕方ないのでもう一度押すが、やはりしんとして
いる。「わたしが居るのが判って、開けないとか…」
「そんなはずない。口止めなんてしなかった、わたしが勝手に言わなかっただけ。言ったら、おかあさんを責めてしまいそう
で」
「なんで? 責められそう、とかでなく?」不審そうにこちらを見る。
「おにいちゃんなの。ここに住んでるのは、深沢拓真、覚えてる? おかあさんが、こどもができない友達にあげちゃった
子だよ」
「………え?」
「なんでそんなことしたの? おにいちゃんはこどもなのに気を遣って…」
「芽衣子」おかあさんが、低く鋭い声を出す。「騙されているわ。拓真は、7歳で死んだのよ」
「……え」
「確かにそういう友達に、あなたをくれとは言われた。でも断ったわよ。わたしたちのこどもだからと。それとは別に、
拓真は7歳で、キャンプで川に落ちて死んだのよ、そういうあれこれを調べて、あなたに近づいて来たに違いない」
すごい勢いで、下へ降りて行く。
「おかあさん!」追いかけて行くと、1階の管理人室で呼鈴を鳴らしている。
「ああ、今流行りの不在管理人だわ」入居者募集の看板にある番号に電話している。
「おかあさん、もういいよ、もう来ないから…」腕を引っ張るが、電話は通じてしまう。
「すみません、そちらの管理のメゾン・ル=ブランの210号室…」携帯から陽気な声が漏れてくる。
『はい、入居ご希望ですか?!』
「いえ、そこは住んでるでしょう、深沢…」偽名かもと思ったのか、詰まる。
『いえ、210でしょう、空いてますよ』
「え?」
『2年間、誰も入ってませんが?』
その後おかあさんが管理会社に頼んで中を見せてもらったが、空っぽだった。間取りはわたしの知っているおにい
ちゃんの部屋で…涙が出た。うちの玄関が見える窓に踞り、いきなり泣き出したので、管理会社の人は
「ど、どうしたんですか!?」と言う。おかあさんも、
「すみません」と言うしかなかった。
うちに帰って全て話した。話すようになったいきさつ、抜き取った写真を見せ、その人はもっとたくさん持っていた、
信用しない理由はひとつも無かったし、兄としてとてもやさしかった、男女の関係は決して無い、と。
「おかあさんを信用しなかったからだね、ごめんなさい」と言う。
「まあ、その、友達にあげたっていうのは…拓真は話を聞いていたのかしらね。結論以外を。事故の原因かもしれ
ない。あの子、それだけあなたに会いたかったんだわ。でも、なんで今なのかしら」
今思うと、今ほど生徒会とかで充実していなかったし、会長たちみたいに慕うべき人が居なかった。なんとなくで
しかないが、今より満たされていなかった。隙間を埋めにきてくれたのかもしれない。
ちょうどおとうさんが転勤になり、都内のマンションから今のところに越して来た。おとうさんは通えると言ったが、
おかあさんが引っ越すと言ったのだ。わたしはあの窓を見るのは辛かったので、反対しなかった。引っ越す前に
わたしは、ひとりでおにいちゃんの部屋に行った。呼鈴を押し、返事が無いので大きく息を吐いて踵を返す。
息が止まる。
「久しぶり」廊下に、おにいちゃんが居た。わたしは思わず駆け寄って、抱きついた。
「引っ越すことになったの。もう来られない」
「それで会いに来てくれたんだ、ありがとう」
「ほんとにありがとう、会えてよかった」
「元気でな」頭を撫でてくれた。わたしは泣きそうになりながら、走ってマンションを出た。
それ以来、おにいちゃんには会っていない。きっと、わたしが辛くなったら会いにきてくれるに違いない。
6、会計論
そのおにいちゃんになんとなく似ていると思ってから余り話しかけていなかったが、富永先輩がねこカフェに行って
みたいと言うので、永田が出勤の日に行ってみた。
「先輩、いぬ派ですね」やっぱりおにいちゃんみたいな見た目と雰囲気で、永田は言った。
「ば、ばれる? でも獣医になるためには、慣れないとね…」おそるおそるねこに触ろうとして、逃げられている。
「ごはんタイムですよー」前回受付に居たおねえさんが、キャットフードの箱を持って来る。なんと、わたしたちに配って
くれる。餌があるから、ねこたちは寄って来る。現金なやつらめ。でもきらいじゃないぞ。餌が無くなってもにおいが
残っているのか、ベロベロ舐められる。
「この態度の差!」富永先輩は呆れている。永田はいつの間にかおしぼりを配りに行って、近くには居ない。
「ねえ、光樹くんの友達」キャットフードをくれたおねえさんが、わたしたちのほうへ来る。大学生なのか、年下への
口調になっている。「どっちか、ねこ好きならバイトしない? 今月いっぱいで辞める子が居て、募集かける前に
ちょっと聞いてみた」
「わ、わたし、勉強にはなりそうだけど、いきなりこんな状況は…」富永先輩は逃げ腰だ。
「それに先輩、3年生になりますしね。あのう、知識無くてもできますか?」
「勿論、わたしも最初は好きってだけで何も知らなかったよ。光樹くんは最初から知識ありすぎだったけど。先輩が
丁寧にお教えします」笑う。
「じゃあ、曜日とか合って、両親の許可が出たら、やってもいいですか」わたしはかなり乗り気になった。「明日、両親に
聞いて来ます」
「お、やったあ、ありがとう。じゃあ、聞いてみて。あ、オーケーなら、履歴書持って来ちゃいなよ。明日はオーナー
来てるから、すぐ面接できる」
「わお」先輩も喜んでくれる。「そしたら何回も来て、ねこに慣れようっと」
おしぼりを持ってこちらに来た永田に話すと
「へー」と笑う。「じっくり仕込んでやる」その笑い方は、おにいちゃんとは全く違う、高校1年生のややこどもっぽいもの
だった。
水中から顔を上げたときの爽快さがあった。それに少し、ときめいた。
バイトをしたり生徒会したりしてたら、でっかい1年生同士だからではなく、好んで一緒に居たいと思うかもしれない。
確か、算盤1級で、エクセルも使いこなせるのが売りの会計くんと。そしたら富永先輩、恋愛の話をできるようになり
ますから。てか、富永先輩は好きな人居るのかな。今度絶対、しましょう恋の話。心の中で語りかけながら、目当ての
ねこに逃げられているもうひとりの会計、富永先輩を笑って見ていた。
了