日向 観察記録vol.2 沙季子サイド  

 

 

                                                小林幸生 2010

 

 

  清水家は2駅隣の町の巨大団地の中にある。おとうさんは居ない。

「こんなもの買わないで財産残してくれれば一戸建ても夢じゃなかったのに」と、おかあさんが笑い飛ばす。

 こんなもの。それが、わたしたち3人を繋いでいる。映画の撮影道具一式だ。あくせく働いて買ったのに亡くなって

しまった。日向(ひなた)くんはそれを使いたくて、自分のクラスメイトと日和(ひより)とわたしを誘って、映画研究

同好会を作ったわけだ。そのクラスメイトは面倒になって早々に辞めたが、演劇部の、舞台より映像に興味が

あった2、3年生が入ってくれたりして、わたしたちが3年生になった今年まで続いている。

 映研は部活ではないから、学校予算は貰えない。衣装代とかは会費で、結構かかるのだ。なのでみんな土日は

バイトしている。うちはパン屋さんなのだが、高校生になってから、うちのお店の手伝いをするとバイト料が貰えるように

なった。はじめは穴が空いたときだけだったのを土日レギュラーにしたのだ。日向くんはファミレスの洗い場、日和はあまり

行ってないが同じファミレスのウエイトレス、後輩たちもコンビニとかカフェとか。

 5月の連休は映研の活動は無く、バイトに精を出すことにしていたが、なんとみどりの日に、日向くんがうちにパンを

買いに来てくれた。いらっしゃいませーと開いた自動ドアのほうを見ると、ニッコニッコした日向くんが立っている。

「沙季子ちゃん」

「わ、ど、どうした!?」我ながら男前な反応である。

 ちゃん付けで呼ばれると、調子が狂ってしまう。ほかにそんな人、居ないし。家族も友達も、名前を呼び捨て。

クラスの男子は、苗字を呼び捨て。親戚のおばさんとかだって、サキと呼ぶ。思春期の女子が、同じ歳の男子に

「沙季子ちゃん」なんて呼ばれたら、誰でも背筋が寒くなると思う。

 なのに、だ。めっさ笑顔で「沙季子ちゃん」と言う。そりゃあわたしは、彼のことは「日向くん」と呼ぶよ、ええ、呼び

ますとも。でもそれは、親友の双子の弟であるきみを呼ぶのに、「清水」というのは、親友まで苗字呼び捨てのようで

へんだからなのだ。名前呼び捨てはなれなれしいし。きみは「高浪(たかなみ)」でいいじゃないか!

 と、1年生の頃は思ったし、クラスの男子に冷やかされもしたが、きみがあまりに草食なので、みんなもう慣れました

さ。わたしはいちいちこそばゆいけれども。

 今は3年になって、親友・日和とは1年のときしか同じクラスにはなれず、日向くんとも一度も同級にはなれずに

居たが、1年のときに日向くんが立ち上げた同好会のお陰で、放課後は3人いつも一緒だった。2年の秋からは、

今同じクラスの斉木が時々加わっているけど、そんなにベッタリ一緒なわけではない。

 

 「かーちゃんと日和に、パン買ってきてって言われたから、どうせだから此処のがいいなって」

「て、2駅も電車乗らすかな」

「いや、此処にしたのは僕。ふたりはそのへんので良かったんだろうけど」

「沙季子に会いたくて来たんじゃない?」同僚の大学生がニヤニヤ笑う。ちゃんと聞こえていて、パンを取り乍ら

「あ、それもあります」とか無邪気に言う。

「全然意識してないから、そーゆーこと言えちゃうんですよ」わたしは彼女にこっそり解説して、ドリンクコーナーの整理を

続ける。

「今年は大型連休だから、去年とかより会わないよね」たんまりトレーに盛って、レジに来る。わたしがお会計して、袋に

入れていると

「レッドは?」と訊いてくる。父のことである。去年撮った映画の役名だ。うちの父を行方不明のヒーロー、日向くんたちの

おかあさんを悪の王者にしたのだ。

「休憩中で、上に」

「じゃあ、宜しく言っておいて」

「グリーンが2500円も買ってくれたって言っとく」

「王者ワルテミスのお金だけどね」笑う。

「和解か!」休憩のときに食べようと思っていたチョコレートを袋に入れて、「勝手に割引できないから、イエローから

おまけで、このマカデミアチョコをあげよう」と言う。

「えー、いいの、ありがとう!」

「3人で食べてや」

 無邪気に手を振って出て行く。

「…草食男子…ああいうのがそうなんだ。わたし初めて見た。ほんと、女の子みたいね」大学生は、ぽかんとしている。

 そうなのだ、わたしは女きょうだいしか居ないせいか、あーゆーのが好きなのだ。わたしなんかを見つけて笑顔になって

くれる、わざわざうちなんかにパンを買いに来てくれる、わたしなんかの話で爆笑してくれる、そーゆーの、反則なのだ。

だって、男子っていったら、フツー無意味に敵視じゃん。バッタリ会ったら「うえっ」と言うのが礼儀じゃん。うちの高校は、

県立のレベル中の上のせいか地味な男子が多い、やけにつっかかってくる幼いのなんか居ない。中学のときよりだいぶ

男子の背中を蹴ったりしなくなったけれど、そーゆーことさせない程度、どころではなく、なんでこんなに近くに居るわけ?

 …好きでもないくせに。 そのくせ、会を立ち上げる行動力や機材を運ぶ姿はミョーに男らしかったりする。反則しまくり

なのだ。

 

 「あ、無くなっちゃった。ペットボトル買ってくる」未だに男子の背中を蹴ったりしている日和が、珍しく日向くんに行か

せずに、自分で腰を上げて学食のほうに行ってしまったので、思いがけず日向くんとふたりきりになる。昼休みの中庭。

「明日体育祭か〜、沙季子ちゃん何出るの?」おむすびをたいらげてから、おかずを攻めに入った日向くんは、まず金平

牛蒡に狙いを定めて、箸を向かわせつつ聞いてから、こちらを見る。何度も見た光景だ。

「メドレーリレー。じゃんけんで負けてアンカーになっちゃった」ワルテミスは、おべんとふたり分、働きながら大変だろう

なあ、と思う。うちの母も働きながらではあるが、通勤時間0分だからな。

「おー、じゃ、200メートル全力疾走だね!」

「やだよ、わたしは刺しだから、最初は抑えて、後から追い上げるのだ」

「第4コーナー回って直線に入りました。沙季子選手、追い上げてきた! 日和選手、逃げきれるか、沙季子選手

攻めてくる、もう一息、ゴ〜〜〜ル! 写真判定、鼻差で12(じゅうふた)番、沙季子選手、一着です」

「競馬かい!」一体いつ競馬の解説なんか聞いてるんだ。

「だって、沙季子ちゃんが刺しとか言うし」

「人間の鼻差って、すごすぎるし! しかもゴールの言い方は、サッカー解説だし!」

「それに日和はメドレーでなく、借り物競走だった」

「日向くんは?」

「僕、綱引き。他力本願全開で行きます!」

「すごい宣言だな」笑う。お弁当食べながらだし、ちょっと沈黙が訪れる。日和がなかなか戻って来ない。木漏れ日を

受けて、日向くんの髪がめっさきれいに見える。涼しい風で、さらりと揺れる。

「日向くんはさ…」好きな人居るのか聞きそうになり、慌てて口をつぐむ。どっちの答えでも恐ろしい!「こ、こないだうちの

クラスの男子が、マイコちゃんかわいいかわいい言うてたんだけど、あの大所帯アイドル、電気街パフォーマンス娘のメンバー

だったんだ。日向くんは、メンバー区別つく? だれかかわいいなって思う?」

「区別はつかないやー、みんな元気あってかわいくていいよねー」

「…そうだね」

「沙季子ちゃんは、Kユナイトだったら誰が好き?」男のアイドルグループだ。そんなの聞いても、関係無いくせになあ。

「…たろちゃん、かな」

「あ、僕もー」…へっ、もしかしてホモなのかな。「日和はふくちゃんなんだよなー。やっぱ沙季子ちゃんのほうが全体的に

話合うよねー」

「…女の子だったら、誰が好き?」女の子の話になったら、ちょっと考えている。やっぱりホモなの? カミングアウトするか

迷ってる?

「…安芸穂波(あきほなみ)って、知ってる?」

「知らないわけないじゃん、超有名人!」…流石に映画女優だな。25歳くらいか。年上趣味?

「グラビア出身だから、ちょっと言うの恥ずかしいんだよね。顔もまあ、いいんだけど、演技がうまいんだよ。あと、最近結婚

したけど、その相手の人とのことドキュメントでやってて、いいなって」

「わたしも見た、そうだ、感動した。あの一途さ、行動力」

「でしょー? なんか、かわいくてかっこいいんだよね」そうか、参考になるなあ。

「盛り上がってますね」日和が帰ってきた。

「日和、沙季子ちゃんは解ってくれたよ、安芸穂波のよさ」

「あっそ」

「…? きょう、機嫌悪い?」わたしは顔を覗き込む。

「べつに」つっけんどんな日和とは正反対に、日向くんはなんかニヤニヤしている。無視してお弁当の続きをかっこむ日和。

まあ、本人が言いたくないなら、いいけれどもさ。話を変えるかな、と話題を探す。目の前で面白そうな日向くんが目に

留まり、思わず

「日向くんて、怒ったり泣いたりしたことある?」と聞いていた。

「うん? ソリャあるよ」

「想像できないなあ。それとか、恋してる日向くんも、想像できない」思わず言ってしまう。

「……小さい頃は毎日泣いてたなあ」話を逸らされる。「僕、いじめられっ子だったんだ。幼稚園のとき。日和がいつも、

いじめっ子をやっつけてくれたんだよね」

「そうだっけ」やっぱり不機嫌な日和。

「そうなんだ…」わたしは苦笑して、恋に関してもソリャあるよって言われなくてほっとしていた。でもそれは。当然なん

だけど、わたしもそこから外されているってわけだ。

 

  ドラマとかまんがで、こーゆー設定って、結構よくある。で、気付いてもらえないほうが、拗ねたり泣いたりして、えっ

もしかして…となり展開していくのだが、現実には、というか、わたしだけかもしれないが、いつの間にか一緒に笑って

いるのだ。これはもう、きっとこのまんまだ。知らぬ間に日向くんが恋して、カノジョができて、遠慮して友達を続けるのだ、

あーもー、手に取るようにわかる。2年のとき苦しくてしょうがなくて、斉木に思わず言ってしまったこともあったけど、また

落ち着いてしまった。またあんなふうになったら…日向くん本人に言ってしまったら、どう答えるだろう。ひたすらごめんねと

言って、一緒に泣くのだろうか。

 

 翌日の体育祭のあとは、斉木も誘ってマックで打ち上げをする。打ち上げるほど何やったというわけでなく、此処に居る

全員思い切りインドアで体育祭はどちらかと言うと無くてもいいくらいだけど、まあノリとはそういうものだ。

「進路希望出した? 代休明けが〆切だったよね」去年の文化祭の打ち上げの続きのように、斉木が言う。

「あんたなんで、此処に来るといつも進路の話するのよっ」日和が小突く真似。

「此処でいつもしてるっけ」

「してる、してる」わたしは頷く。「続きだと思ったくらい」

「そうだっけ。まあ、ふたりは決まってるもんな。学校も決めた?」日向くんはサラリと

「うん、映林館学院大学の芸術学部総合映画コースにした」言い、思いがけないところで志望校を知ってしまう。

「高浪は?」

「松葉台栄養大学。なんと第3志望に映林館入ってるよ」

「おー、大学も一緒だったらたのしいね!」日向くんは無邪気に言う。「あ、でも第3希望でなく第1に行かないとね」

「わざと落ちて行ったりしないから、安心してよ」そこまで女々しくない…と思う。「あ、なんか、斉木も決まったって

かんぢ?」

「決まったさ! 建築に行く。とりあえず、彩ノ宮工芸大。習いたい先生が居るから」

「おお、建築!」

「あ、そこ僕の第二希望。映画は映林のほうがいいんだ」

「まぢ? 清水は、どうした? 決まった?」

「……」

「てないか、その顔は…」

「別に、関係無いじゃん」不機嫌そうに言いながら、シェークを飲み干し、「コーラ買ってくる」と、ぱっと居なくなる。

「逃げた」日向くんが苦笑。

「日向を使いっぱにしないで逃げた」斉木は、腕組みをして呆れ顔。

「でも、確かにもうそろそろ決めないとやばいかもよ」

 

「日和ってさ」日向くんがポソリと言う。「全然勉強してないのに、成績悪くはないんだよね。勿論朋くんみたいに、順位

表に名前出るほどいいわけではないけど」

「そうなんだ。悪いけど、後ろから1桁とか追試とかザラなイメージある」斉木は遠慮無い。

「うちで勉強してんの見たことない。中学までは宿題があったからやってたけど、授業聞いただけでまんなかへんって、

身内なのに誉めちゃうけど、すごくない?」

「すごい。もしかして、家事、清水がやってんの?」斉木は急に心配そうな顔になる。そうか、働くおかあさんの代わりに、

おうちのことが忙しいのかな。

「…いや、ほぼやらない」笑う。「テレビつけっぱなしで寝てる」

「……」また呆れ顔になる斉木。

「勉強したら抜かれちゃうかも」

「何になりたいとかなくて、一生高校生で居たいんだろうな」しょーがねーなーって顔になった斉木のトレイの上は、紙ゴミと

プラゴミが分別されている。ゴミ箱の前で手間取らないようにだ。日向くんは分別していないが、バーガーの包みがキッチリ

畳まれてドリンクの下敷になっている。日和とわたしは包みを丸めて放置。ゴミ箱の前で分別する派だ。きょうは、そろそろ

帰るかってときに、きっと斉木が、紙トレイとプラトレイに分けて、平等に順番で誰かに捨てに行かせるのだろう。そして

迅速に店を出るのだ。4人のペースも掴めて来た。

 日和が遅いので、わたしは下の階に様子を見に行った。さほど混んでいないが、まだ並んでいる。

「帰っちゃったかと思った」

「先にトイレ行ってたんよ」

「わたしもフルーリー買お」

「あ、じゃ、わたしも買う」言ってから、わたしを見る。「最近ツンケンしてごめんね。進路とか考えると苛々して」

「…日和さ、大学決まってないなら、おんなじとこ行かない?」わたしは上のほうのメニューを見たまま言う。

「……」

「大学時代も一緒に過ごそうよ。やっぱやーめた、でもいいじゃん」

「それにしては栄養大って…決まりすぎだよ」笑う。「ありがたふ、実はもう、志望校決まってるの。あいつらに言いたく

なかっただけ」

「えっ、どこどこ?」そこで順番が来てしまう。

「あとでメールする」

 フルーリーを持って戻ると、日向くんが僕も!と下に降りてゆく。

「斉木は?」

「おれ、いいや。腹いっぱい」

 その日はもう、進路の話にはならなかった。

 

 2日くらい経って、日和からやっとメールが来た。

>今年の文化祭の映画、最後かもしれないじゃん。冬の1本は受験でどうなるかわからないし。密かにミステリー

書いたんだけど、明日昼休みに読んでくれない? で、よかったら、放課後推薦してほしいんだ。勿論、だめなら

却下で<

>おー! ひとりで1本、すごいね<いつもはみんなが出し合った案を、誰かが本にするのだ。>勿論オッケー!<

 暫くして来た2通目。

>進路なんだけど、わたしシナリオライターになりたいの。だから映像ライター科のあるところに行く。第一志望は、

映林館<…日向くんとおんなじとこ…い、いいな。それには触れずに

>すごい! おこがましいけど、応援する<と返した。ありがたふ、とだけ来る。しかし隠していても、バレそうな気がする

けどな。

 

 翌日、お昼はふたりで食べた。待ち合わせの屋上には、離れ離れで何組かのグループがお昼を食べている。

「日向くん、ひとり?」

「何気無く、斉木が一緒になるよう仕向けておいた」なんだかんだ言って、日和は日向くんに優しいのだ。「じゃあ、

ちゃっちゃと食べてから、宜しく」

「うん」食べた後に読ませてもらう。「すごい、これは興業成績S級の…」

「ちょっと、笑わせないでよ。んなわけないやん!」日和はガハハと笑う。

「いやまぢで。わたしたちがやるの、勿体無い」

「それ、わたしがライターになりたいから言ってない?」

「まさか、違うよ」

「ならいいけど」恐らく日和は、誉められ慣れていない。おかあさんも、まさか日向と同じ高校に行けるなんて、と驚いて

いた。がんばったわねえ、てかんじではなかった。何が起こったのかしらーって。みんな斉木みたいに思っていて、酷いとき

には、どうせ日向がやったんだろ的な。

 じゃあ放課後ね、と次が体育の日和は先に教室へ戻った。

「だけどね日和」もう居ない日和に向かって言う。「わたしは羨ましいことだらけなんだよ…日向くんといつも一緒ってことも

そうだけど、そんなことじゃなくて、見た目も、雰囲気も、声も、話す内容も、何もかも。日和になってしまいたいくらいに」

 当然、誰も答えない。予鈴が鳴り、ばらばらに座っていた人たちが階段のほうへ移動し始めた。

 わたしも立ち上がり、教室へ急いだ。

 

 わたしはともかく、日向くんもマニアらしい厳しい目をしているし、何しろ斉木がいろいろ難癖をつけてくると思ったが、

あっさり

「よくできてるじゃん」と言う。「このどんでん返しとかも、やるなあ」とまで。

「1、2年生も読んだかな、これでいいと思う人、拍手!」現会長の2年生駒田が言うと、みんな拍手をした。みんなが

拍手をしたのを見て、「では決定します」と、厳かに言う。

「キャスト、スタッフ、反対意見無い?」日和が聞く。なんと、わたしは日向くんのカノジョで主人公だった。うきゃー! 

無論ラブシーンとか無いけどね。みんなしてオーイエーとグーの手を挙げたとき、

「…僕は出すぎな気がするけど、大丈夫かな。撮るのに支障無いかな」日向くんはオーイエーをせずに言う。このキャス

ティング、やなのかな。

「斉木にやらせりゃいいじゃん。出たくないんだから」日和が思い切り斉木を指差す。

「指を差すな、指を! 日向、教えてくれればやるよ?」

「…うん」

「やっぱ不安? 人に機械任せるの」斉木は言いながら、わたしのほうをちらっと見た。あ、わたしが傷ついてないか

気にしてくれてる? やーさしいなあ、斉木は。

「てか、僕が撮りたいってのが大きいかな」日向くんは困ったような顔で笑う。

「じゃあカイくん役は、2年生やらない?」わたしは心にも無いことを言っている。「主人公のカレシにしては実はキー

パーソンじゃないよね、気軽にできるんじゃない? やってみたい輩、居ない? まあ、わたしのカレシ役ってのが厭で

なければ!」日向くんの視線がこちらに向いた。

「それが厭なんじゃないよ?」わざわざ言うし。

「わかってるよ」わたしはどこまでも頑強だ。「撮りたいって、今言ってたじゃん。それ以外何も考えてないって、わかってる

よ。わたしだって、日向くんがいいとかほかの人がいいとか、考えてないし」

「…うん」うつむいてしまう。

「日向先輩、おれがカイ役やってもいいですかー」ちょっと重くなりかけた空気を裂くように、駒田が無邪気に挙手した。

「ちょっと、ふつうそれ、わたしに言わない?」日和が割って入る。

「いいですかー、皆さん」わざと日和を無視して駒田が採決。

「オーイエー」全員、グーの手を挙げた。

 大まかなスケジュールを決めてから解散になる。予想した通り、斉木に捕まった。

「ちょっと教室へ戻れ」

「なんでよ」

「わかってんだろ」

「説教なんか聞きたくないし」

「いいから来い! 日向ー、先に帰ってくれ、おれたち、クラスの仕事ひとつ忘れてたわ。ちょっと教室戻る」

「うん」手を振っている。日和も不審そうに見ていたが、やがて手を振って昇降口のほうへ行ってしまった。

 教室までも行かずに、廊下で斉木は

「莫迦じゃないか、おまえ」と言う。「どうしても日向がいいと言えとは言わない、でも、なんで自分から立候補募る

かな?!」

「べつに、日向くんじゃなくたっていいし。だから、誰がいいとか考えてないんだってば」

「だからってそれをわざわざ日向に解らせなくたって!」

「…2年の、あのときはわたし、どうかしてた。今のわたしが普通だから。気にしなくていいから」

「でも好きなんだろ?」

「だったら何? 世の中にはね、手に入れたくない恋愛だって、あるの!」

 視線にギクリとして振り返ると、駒田だった。

「す、すみません。おれ、高浪先輩に用があって…斉木先輩が一緒とは知らず追いかけてしまいました」

「あんだけでかい声で日向に先に帰れと言ったのに?」斉木はシニカルに笑う。

「聞いてませんでした、ほんとに。でも実は、おれの用ってのも同じことで…」

「……」今のやりとりは聞いてたわけだ。顔面蒼白。しかも、斉木と同じことを言おうとしたってことは、予想もしてた?

「実はおれたち2年は、3年生の応援団でして」

「応援団? なんだよそれ」

「高浪先輩は日向先輩を、日和先輩は斉木先輩を好きなんじゃないかと予想を立てていて…うまくいかないか

なあ、と」

「えっ、日和ってそうなの?!」思わず斉木を見る。

「予想って言ってるやんけ! あいつは、おれの字が好きなだけだよ」

「それだけですかねえ」

「わたしは何も聞いてないなあ」

「て、そっちの話は今は置いといて」ジェスチャーつきの駒田。「高浪先輩は日向先輩を好きなんですね?」急に真剣に

なる。

「い、いや、あの、だから…」

「おれ、煽っちゃいますよ?」

「ちょっとやめてよ、あの人、ほんと、男女とかどうでもいいんだから。そういうところがいいんだから…手に入れたいなんて、

微塵も思わないんだから…」最後は力無くなる。

「けどさあ、だれかに捕られてからでは遅いよ。あ、捕られるって、捕獲のホね。日向って、そういうイメージ」斉木は真剣に

そんなことを言う。

「わたしが告白したって、きっと、ごめんねって泣くんだよ、わかってるんだよ。もう、なんか、どうでもいい。そんなことより、

撮影でしょ、進路でしょ」言い切って、踵を返す。「じゃあね! 余計なことすんなよ」ふたりを置いて、ガツガツ歩きながら

昇降口へ。目を疑う。日向くんが、柱に寄りかかって立っている。

「沙季子ちゃん」

「…日和は?」

「先に帰った」

「斉木なら、もうすぐ来るよ」

「いや、あのさ…」よからぬことを言われる気がして、逃げたくなる。

「待ってるんだよね? じゃあお先に!」ガツガツ歩き続けてバス停に行く。バスは暫く来ない。振り返るが、日向くんも

来やしない。ベンチにかけて、大きく息を吐く。携帯が震えて、見ると、日向くんからメールだった。

>なんか…ごめんね<

「まだ告白してないよ…」わたしは苦笑して

>何が?<と返す。で、なんか腑に落ちないからもう一通。>悪くないときに、簡単に謝らないほうがいいよ<・・・やな

かんぢ。でもほんとにそうでしょ? きみはなんにも悪くない。だれも、悪くない。

 画面に影ができて、見上げると、日和だった。

「あ、まだ帰ってなかったんだね」

「うん、日向が鍵返したり、トイレ行ったりしてたからさ」隣にどっかりと座る。

「あと6分来ないよ」わたしが言うと、

「え、だれが?」なんて言う。

「バス」ゲラゲラ笑う。あーおもろい、日和ってば。

「あいつら来ちゃうかな」

「マジで、バスが来ないから追いつかれちゃうよ…あ、来ちゃった」校門のところに、日向くんと斉木が見えた。

「わたしさ」日和がそっちを見ながら、ポソリと漏らした。「斉木が好きなんだ」突然言うので、普通に聞き流してしまい

そうになった。

「へー…えっ?!」さっきその話になったけれど、やっぱり驚く。

「進路と…それで苛々してんのよ。なかなか、うまくいかないよね…」

「…わたしは日向くんが好き」やけに素直に言いたくなってしまった。「べつに、付き合いたいとかないんだけど、このままで

居たい」

「うん…同じ…」

 ふたりしてじーっと見ているから、近くまで来て斉木が

「なんだよ」と言う。日向くんは困ったように笑っている。

「バスが来ないから、追いつかれちゃったね」敢えて日向くんに言う。

「だねー」日向くんがいつもの調子に戻ってくる。

 バスが来て、一番後ろに陣取る。いつものように斉木、日向くん、日和、わたしの順に並んで、いつものように他愛

無い話をした。卒業という別れが4人を分かつまで、こうして過ごし続けた―――。

 

                                                              了

 

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