lie or secret
 

 


                       小林幸生 2001

 

 

  恋心というものは、日常に度重なるいくつものきっかけで、半ば強制的に生じるものだと思う。

  そもそものところ、彼女が僕にとってそんなに必要なのかどうか、全く判らない。彼女はいつも、奇人的発想と

雄弁で驚かせ惹きつけ、まるで詐欺のように僕を盲にしてしまったのだ。

 

 

1、会長論

 

  かなりのシスコンであると思われ、更に絶対にそれを認めない親友が、初めて「あの子いいよね、なんか」と

言った。

「えっ、だ、だれが!?」こいつ、姉貴以外の女に反応したぞ、とかなり驚いて吃った。

「だから、sarah(サラ)が」

「なんだ、モデルかよ」それにしたって珍しいが。

「女の子はああでなくちゃね」駅からの道を並んで歩きつつ、しみじみ言っている。

「所詮二次元の女だよ」

「格好つけやがって」そういうわけじゃないが、現実的なのか、芸能人は芸能人でしかないと思ってしまって

いる。「あ、此処だ」

「ん?」

「日曜日、買物帰りに結衣(ゆい)と入ったんだけどね」古風な喫茶店を示す。「そっかそっか、あっちの道じゃなくて

こっちか、やっと繋がった」ひとりで納得している。

「ふーん」

「それがよー」めっさ笑顔で何か言おうとしたとき、カランカランとドアが開き、見慣れた顔が出て来た。

「おー、水野、何しとん?  あ、悠有(ゆう)くんも一緒か。日曜はどーも!」サラリーマンのおっさんみたいに挨拶

して来たのは、生徒会長、相原多香子だった。喫茶店の制服らしき黒服を着ている。

「先輩、バイトしてんすか、禁止なのに生徒会長が!」

「禁止ちゃうでー、許可制やでー。それくらい覚えておきたまへ、副会長」

「日曜、たまたま入ったら働いてはって」ふたりして関西風味で喋りやがって。てか、日曜におねえさんと買物に

行き、帰りにお茶してるなんて、やっぱシスコンだ。「今も、入ろうって話してたんです」話してなかったし!

「そーかそーか、寄って行きたまへ、若人よ」ドアを開けてくれる。「マスター、イケメンとイケズ、ご来店ー!」

「イケズって、おれのことかい」僕は悠有について行きながら、会長を睨む。

「まあまあ、言葉遊びだから気にせんと」

「おれ、アイスキャラメルラテ」さっさと席に着いて、オーダーする悠有。クールな外見のくせに甘党だし!

「水野は甘いの平気か?」奥からマスターと話してから会長がオーダー取りに来る。

「あーはい」

「じゃ、アイスコーヒーふたつ、と」なんぢゃそりゃ。立ち去ったので、悠有に

「おまえ、会長と面識あったっけ」と聞いてみる。

「おれは勿論、多香子サマもおれの顔くらいは知ってたらしいけど、おれというより、結衣がね、3年のとき同じ

クラスだったから、このまえ此処入ったらすぐ判ったんだよね」

「え? 同じクラスって…中学? 一緒なん!?

「知らなかったのかよ、生徒会同士なのに」

「知らなかった、聞かれなかったし、帰りは別々だし」

「そんなもんか」そんなもんです…。「まあ、知ってたらおれに言うか。日曜に聞いたところによれば、境遇も似てる

し、気が合っちゃって」

「へえ」確かにテンションは近いから、合うかも。「境遇って…」

「あっちはおかあさんと弟の3人家族」…そうだったんだ。悠有と結衣さんは、おとうさんと3人家族だ。結衣さんが

家事全般やっている。

「へい、お待ち〜」会長が持って来たものにビックリ、伝票にはアイスコーヒーとあるが、内容はアイスキャラメルラテ。

しかもなんとなく、トッピング多いし。

「マスター、ありがとなりー」カウンターのマスターを見て、ご機嫌に手を振る悠有、頭を下げる僕。

「コロ助かい。ふたりとも甘いのだめそうなイメージなのにね」

「おれの硬派は、周りが作ったイメージなのでぃす」

「今度はシマリスだ」悠有の物真似に、ついて来る会長。

「よくそんなキャラクター知ってますね」

「ま、健大が情けないから、おれが硬派に見えちゃうってことだ」

「ははは、じゃーごゆっくり」行きかけた会長を引き留める。

「会長、質問があります」

「何だね、副会長」

「次回の選挙、立候補しないと明言されましたが、それはこのバイトが忙しいからでしょうか」

「…いや」会長は視線を外し、僕を見ずに答える。「別のことです。このバイトも、今月いっぱいなのです」

  県立高峯高校は、共学では県内一の進学校である。が、入ってみると拍子抜けすることに、結構のほほんと

している。普段の生徒会長を見れば、それは如実に理解できる。

  相原多香子。1年の後期から会長に立候補すること自体ふざけているが、その理由もふざけている。彼女は

前期、風紀委員だった。校則の服装についてが細かすぎて自主性が無いな〜と思っていたら、生徒の間に

私服化の動きが出てきて、それは厭だったので、校則を変えたれ、と立候補したのであった。選挙ではそんなこと

言わずに、ほかに張り合う人が居なかったためか当選してしまい、持ち前の雄弁で実行してしまった。

 `制服着用´。校則での記述は、これだけになった。しかし校内新聞に`私服は認められないが、生徒の自主性に

基づき、細かく注意していくことはやめになりました。清潔な、高校生らしい服装を目指そう。莫迦丸出しの格好は

辞めよう。´という文を載せたら、流石は進学校、莫迦という言葉に反応して、ルーズソックスや極端に赤い髪は居なく

なったという。それから文化祭やら何やら、色々と奇想天外な発想でビシバシ仕事をして、2年前期も前代未聞の

全員信任という結果で再選された。

 僕ら1年は、その話は先輩や先生から聞いて知った。しかしその前に、彼女はキョーレツな印象を与えていた。

それは体育館での入学式。

  新入生歓迎の言葉を、会長が壇上で言うことになっていたのだが、呼ばれても出て来ないのだ。皆ざわめき、

暫くして司会の先生が次に行こうとしたとき、ようやっと舞台上手から走り出て来た!  しかも、ジャージ上下に

アフロヅラ、サングラスといういでたち。皆息を飲んだ。

「新入生のみなさん、こんな人が会長だと、学校の行末が心配ですよね。遅刻、呼んでも返事をしない、へんな

服装。きょうはわざとこのようにしてみました。この学校に入れる皆さんなら、何を意とするか、おわかりでしょう。

前年度、わたしたち生徒会は、ひとつ校則を換えました。学校は、わたしたち生徒が動かしていくものです。

先生方は模範であり、わたしたちの反論も温かく受け止め、間違っていればご指導くださいます。新入生の

みなさんも是非、積極的な高校生活を送ってください。本日は、おめでとうございました」へんな格好のまま

堂々と上手に()退場、2、3年から

「いよっ、アイハラ!」などと声がかかる。1年も大拍手。

  実は僕は、この顛末を舞台下手の折り畳み椅子に腰掛け、横から見ていた。会長の前に、新入生代表の

つまらん挨拶をしていたのだった。なんともたのしそうな(サングラスで顔は見えないが)、痛快な挨拶だった。

  中学で生徒会経験のある僕は、この会長と仕事をしてみたくて、5月、前期の選挙に出馬することにした。

同じことを考える輩は多いもので、激戦となった。信任投票は、会長のみ。勿論現職のアイハラ。彼女とバリバリ

仕事をしたいのはいても、戦いたいやつは居ないらしい。応援演説も立てず、

「たのしい高校生活のために、わたしを利用してください」の一言で、全員信任。僕は入学式総代で顔が売れて

いたお陰で、3.5倍の激戦を勝ち抜いた。今思えば、鳥羽(とば)三中で副会長をしていたと言ったのは、相原

会長の出身中を知っている者にはプラス材料だったのかも。

  初顔合わせのときから、役員会中は会長はシリアスでいつも厳しかった。曖昧な発言は容赦無く追い詰め

られ、初回の抱負を覚えていて、あれは嘘かと責められる役員もいて、ちょっと怖かったが、全て正論だし、勝手な

わけではなかったし、会議が終わればムードメイカーに豹変してオヤジギャグを飛ばしている。怒った相手に対して

も、引きずらないでいつも通りとなる。力仕事も男子に頼らずにいつの間にか片付けちゃったりして。いつだったか

段ボールの取り合いをして、

「仕事をするのに、男も女も無いのだ!」と怒鳴られたことがあった。…会議中怒鳴られることを辛うじて回避して

きたのに、こんなことで…。

 5月末の体育祭では、生徒会発案で先生騎馬戦やら学級委員三輪車競争やらハチャメチャをやって、

大ウケにウケた。2年会計宅の打ち上げで、

「えらい助けられました、だうもでした!!」なんて言っていたが、全然助けてないよ、とガッカリした。そうして捨て

身のギャグでみんなを笑わせる。翌朝まで騒ぎ、片付けにはみんなで登校。徹夜明けで

「金曜日の正午までに会計報告あげてね」とか「校内新聞にこの写真使って」とか、バリバリ采配するこの女、

一体何者だ。しかも現像、いつの間に出して来たんだい。

 当然、後期も続投かと思っていたのに、ほかの役員が

「夏休み開けたら、前期終わりかあ、みんな続けて立候補するん?」と何気無く聞いたら、会長は

「わたしできないんさー、忙しくなっちゃってさ」と言い、役員全員蒼白になった。僕もかなりショックを受けていた。

もう、一緒に生徒会できないのか…。

  …そして同時に考える。僕はこんなに、この人のことを好きだったんだ。そして今、考える。

  僕には理由を教えてくれないんだ…。

 

  「でも他にだれもできないっすよ」半ば八つ当たりで、会長に言う。

「ひとり居るんだよね。今度の会議で推薦しようと思ってるんだけど」

「誰?  中西先輩は3年生だから、もう立候補しないでしょ」

「うちの高校は、決まってるわけじゃないけど3年後期は普通生徒会引退するからね」そして何気無く

続ける。「それはキミです」

「………は?!」3秒は間を置いて驚く。「冗談!」

「いや、真面目に」

「すっげ、カリスマ会長の太鼓判だぜ、やっちゃえよ!」悠有は面白がっている。

「できるか!」

「お主、できるな」

「それ、使うとこ違うし!」

「まあ、それはまだ間があるからいいとして」悠有は低く言い出す。「sarahってさ」

「へっ?!」急な話の飛び方に、会長も僕も驚愕の声を上げる。

「すんごい女らしいじゃん。多香子サマは、男前じゃん。なのになんか、似てる気がするんだけど。言われません

か?」

「そっかー?」紛れて、会長の顔をマジマジと見る。会長はトレイで顔を隠し、もう行きかけている。

「無い、無い。あたしゃ、あんなオンナオンナしてないからね!」

「そっかなー、絶対あの格好したらソックリだと思うんだけどなー」

「じゃー仕事中だから。ごゆっくり!」敬礼してカウンターのほうに去る。

「おまえ、思わない?」悠有は生クリームをほじくり乍ら、僕に聞く。

「おれ、sarahの顔をよく知らないや」笑う。でも本当は気づいている。顔は実はかわいいし、三枚目で言葉遣いは

大阪弁だったりするが、「じゃねーし」とか「メシ食う」とか言わないし、足組んでふんぞり返ったりしないし、生徒会

室で弁当食べながらの会議のときには箸使いが頗るきれいだったし。

  でもたぶん。あのモデルは、お礼は`ありがとう´だろう。そこは違う。会長は僕が頼まれた仕事を終わらせたら、

こう言った。

「おお、忝(かたじけな)い!」思い出す度に笑ってしまう。

「何ニヤニヤしてんだよ、どーする、愛しの会長がカリスマモデルだったら!」

「誰が愛しの、だ。それにそんな筈無いよ。5月くらいだったかな、前にあのモデルがテレビに生出演するってんで

大騒ぎだったやん、あのとき生徒会、体育祭の準備で集まっててね。中西先輩がビデオセット忘れた、30分だけ

見せてくれ!って泣いたんだよね。で、視聴覚室で会議してその時間はみんなで見た。会長もそこに居た」

「何やってんだよ、生徒会!」笑っている。

「そーいや正体不明も売りなんだっけ」どーでもいいけどさ。「おまえこそ、sarah好きで似てる言うなら、会長も

好きなんちゃう?」

「好きだけど、そーゆー好きではない。気になるー?」答える気になれず、大サービスドリンクを啜る。「おれは恋

なんてしない」悠有はいきなりシリアスになって、窓の外に目を遣る。…あっそう。。。

 

 

2、親友論

 

  軽々しく使う言葉ではないので、本人に「おまえはおれの親友」と言ったことはない。彼にとっては違うかもしれ

ないが、僕にはそうなので、言いきってしまおう。

  幼稚園から中学までの学歴が同じなのはまあ偶然かもしれないが、クラスが一緒だったのは年少竹組だけ

なのにずっと仲がいいのは、気が合うからに他ならない。更に受験して入る高校まで一緒となれば、運命さえ

感じる。とは言え、僕のほうは彼にコンプレックスを抱いてもいるのだけど。

 

  一条悠有。その名前からしていかにもカッコイイ。それに比べ僕の水野健大(たけひろ)という名前はいかにも

平凡だ。大をヒロと読むのは気に入っているが、たまに健太、ひどいときには健犬と書かれる…。小2くらいまで、

ゆうくん・たけちゃんの仲だったのに、突然

「カッコ悪いから、名前呼び捨てにしない?」と言われた。最初は何を言われているのかもわからなかったくらいだ。

「おれもタケヒロって呼ぶから」

「う、うん」そのとき初めて、彼が自分のことをおれと言うのに気づいた。それで僕も、慌てておれと言うことにしたが、

高1の今でも思考の中では僕のままだ。ほかのことでも何気無く彼を真似てしまう。成績だけは勝っていたのに、

中3になったら悠有は急に上位に食い込んできて、焦った。抜かれないようがんばったお陰で、こんないい高校に

首席でうかり、入学式で総代ができたのだ。しかし最近になって、張り合っても仕方無いことに気づいた。だって

僕のほうは、まるで相手にされていないのだから。

 

  両親健在の僕は、不届きなことに、母親の居ない彼の家にかなり憧れていた。悠有の家は、僕らが幼稚園に

入園する少し前にできた億ション(高級マンション)である。当時はおかあさんが居て、幼稚園とか低学年の頃は

うちのおかんと彼のおかあさんは僕らを連れて往き来したり公園で落ち合ったりしていたのだけれど、親同伴では

遊ばなくなって、そろそろ道で会ってもわからなくなったであろう頃、小5の夏休みだった、彼のおかあさんのお葬式に

行った。悠有にはどうして?と聞けなかった。近所の噂では、自殺だったそうだ。悠有は、おかあさんが死んで行く

姿を見たのだろうか。当時小6だったおねえさんが、それ以来家事をするようになって、おとうさんは再婚しなかった

ので新しいおかあさんもできず、そのまんま悠有は高校生になった。僕がよく訪ねた一条家は、おとなが居なくて

姉と弟が自由に暮らしていた。しかし悠有がグレたり落ちこぼれたりしなかったのは、僕から見れば、悠有本人の

性格や努力というより、結衣さんの手綱のお陰だと思う。

「たけちゃんも一緒に、宿題やっちゃおうよ。わからないところがあったら教えてあげるよ。ね、厭なことは先に終わらせ

て、それからゲームでもやろうよ」悠有はゲームを出し始めていて、厭な顔もしつつ、黙って従う。宿題が終わり僕は

何気無く予習も始めてしまうが、悠有はノってこない。

「そんなん明日学校でやるし!  先に始めてるかんな」そうすると、結衣さんは僕のためだけに考え、答えてくれる

のだ。僕はゲームよりもそのほうがよかった。そう、初恋はそのとき、結衣さんにだった。

 校庭でひとしきりサッカーなんかをして帰りながら悠有の家へ行くと、たまにスーパーの買い物袋を提げた結衣

さんの後ろ姿を認める。近所のおとなたちに挨拶してたりする。すかさず悠有は駆け寄り、袋を持ってあげるの

だった。こんなとき結衣さんは、悠有を見て

「ありがとう」と笑顔。決して、サンキューとか、ましてや忝い、ではない。僕もありがとうと笑いかけてほしいのだが、

あまのじゃくで、僕も持ちますなんて言えなかった。悠有の荷物があれば、そっちを手伝ってしまうのだ。

「おっ、サンキュー」悠有の笑顔をゲットしても、何の意味も無い…。

 結衣さんにはごはんの支度があるので、予習にそんなに長い時間は拘束できない。悠有が早く〜と言う前に、

「お待たせ、対戦しよ」と行けるのだった。夕飯前には退散する、という毎日。クラスが違うのにだ()。結衣さん

への想いもあったが、悠有がやなやつだったらそういうのは続かない。今はあまり家に行かなくなったが、中学までも

今も、帰りはたいてい一緒だし。

  まあ結衣さんから見たら僕はもうひとりの弟なんだろう、そんな発言も度々あったし、悠有がおねえさん大好き

らしいのに僕が付き合いたいなんて微塵も思えず、想いは自然消滅して、いつの間にか僕は、忝いと言うキョー

レツな全然違う女に目を奪われている。会長…境遇似てるって言うけど、弟の前では結衣さんみたいなのか? 

いや、ありえないな。ガハハと笑いながらテキトーな家事をしてるのだろう。

  悠有は昔からよくモテて、恋文の仲介を頼まれたりしていたが、だれとも付き合わない。中2の頃だったか、

悠有のほうから

「おまえ、好きな人居る?」と聞かれ、何事かと思ったが、結衣さんだとは言えず曖昧に濁すと、「わかんねーん

だよね、手紙とか貰っても、軽く言われても、決死の覚悟で言われても、全くうれしくなくて」なんて贅沢なことを

言っている。僕は噂止まりの、告白をしたこともされたこともない人生だったから、その気持ちがわからなかった。

「おれもよくわからないけど、ま、そのうちじゃない?  まだこれという人に出逢えてないんだと思う。40歳くらいに

なってそうなら焦ればいいよ」それはベストアンサーだといたく感動された()。それ以来で女の話、かと思ったら

モデルだし。しかし今まででは考えられないほどのめり込んでいる。テレビに出れば録画し、雑誌も全部ではない

だろうが表紙にいれば買う、とか。

  sarahに似ていると言うくらいだから、会長と仲良くなって嬉しいのだろうか。会長のほうも…悠有の人気は、

見た目のかっこよさに加えて話すと面白くてガツガツしていないところがいいと評判で、高校で更に高まっている。

2、3年の女子にファンクラブがあるって噂まである。そんな悠有と仲良くなれて、会長も嬉しいと思っているんだろう

か。ふたりがうまくいってしまいそうで、焦る。焦っても、どうしようもないのだけれど。

 

 

  新会長談義

 

  1学期最後の生徒会役員会議の後、もうひとりの副会長、中西先輩は言った。

「会長、応援演説ならするって言ってたけど、オシメンは居るん?」

「あー、はい、考えてますよ」中西先輩は3年生なので、2年の会長はタメ口きかれても丁寧語である。

「この中? 新人?」

「一応、この人に出馬しろと言ってます」僕を示す。

「だーから、無理ですって」みんなはまるで考えていなかったようで、キョトンとする。当然だ、と思った瞬間、みんな

一斉に

「名案!」と言う。

「はあ?」

「役員全員、いや、全校生徒をグイグイ引っ張る会長を、後ろから押すふうにちょっと変化させると、水野になる」

中西先輩は、人差し指を立ててニヤリとする。

「雰囲気は一緒」そーか?

「なんか似てる」どこが? まあ、嬉しいけど。

「相原さんの後任は誰でも、前のほうがよかったって言われるじゃない? 水野くんは同じタイプでしかも控えめ、

最適だよね。それで、相原会長の遺志を引き継ぎますって言って、相原さんが応援演説すりゃあ、当選確実、

なっちゃえばこっちのもんよ」

「実際、会長は忙しいっつっても学校には来るんでしょう?  よくないとこ見えたら指導してもらってさ」

「てか、会長が裏で手を引きゃあいいんだよ」お飾り将軍ですかい。

「決めた、相原さんが出ないなら、水野についていく、いや、押される」

「そーしよー」

「ちょっと待ってくださいよ。次の選挙のときっておれ、まだ1年ですよ?」

「相原さんだって、1年の後期で会長になったよ。しかもきみは、副会長の経験がある。文句無し!」

「この人とは器が違いますって」会長を示すと、今まで腕組みをしてみんなの意見を聞いていた会長は、深々

頷いて

「やはりそうであるね」と、まんがの中の中国人みたいに言う。しかし顔は大真面目。ウケを狙ったわけではない

らしい。「高峯高校の未来は、きみに委ねた!」肩を2回、バンバンと叩かれ、そのあまりの強さによろけてしまう。

「えっ、ちょっ…」

「みんなもまた役員になり、水野に協力してくれたまへ」

「ハーイ」

「勝手に決めな…」いでと全部言う前に、会長が割り込んで来る。

「ひとつ質問。来期は文化祭がメイン・イベントとなるわけだが、後夜祭のアトラクションとして、何か考えている

かね?」

「そんな急に言われても…そんな先のこと、考えてませんでした」

「じゃあ今考えて。何か案は?」

「……」考えると、超くっだらない案が浮かび、思わず噴き出してしまった。会長やみんなは目を輝かせる。

「何かな!?」

「いや、これはちょっといくらなんでも…」

「いいから言うてみんさい」

「全員パラパラ」

「………」みんな、目が点。「水野がパラパラって…」

「事前に練習するわけ?」

「はい…それは面倒なんですが、各クラスに配布する見本ビデオが重要なんです、会長が、懐かしのアフロに

ジャージで登場、それで見本を踊っていただくんです。まあ、体育の授業は先生次第ですがお願いしてみて、

HRとかで練習できますよね。できたらキング、クイーンを決めたいですね」

「会長はそのとき、わたしではないけどね」

「あっ、そうか」

「しかし素晴らしい。わたしも、元会長として出演して構わない、ただし役員全員が望ましい」

「えっ、てことは、当選してればおれらも!」

「あ、いいな、1、2年は」

「中西先輩もゲスト出演しましょーよ」

「出たい、出たい! キング、クイーンを決めるなら、審査員要るよな。相原さんと校長教頭でどうだ?」

「グー!」勝手に盛り上がるなあ…。

「うん、やっぱりわたしが見込んだだけある」いきなり会長に頭を撫でられ、思わずよけてしまう。「何もよけなくても」

「す、すみません…」真っ赤になってバレてないか?  会長はよけられてもべつにどーでもいいかんじで、

「よしっ、そのかんじで、邁進して行くぞよ!」と拳を高く上げた。

 

  うちに帰って、洗面所で鏡に映る自分を見る。頭を撫でられたとき、ほんと、真っ赤になってなかっただろうなあ…

てか、頭どころが今日は肩もバンバン叩かれたし、何気にお初のスキンシップデーだ。まあ、むこうは意識してない

からできるんだろうけど。とは言えニヤけてしまう。

「も、もしかして髭が生えてきたとか!?」後ろにいつの間にかおかんが立っていた。「あんなに可愛かったたけちゃん

が!!  いやーっ」

「うるさいよ…違うし」

「でももう高校生だしなー、もう間も無くよねー。早く女装写真撮っておかないと、手遅れになるわ。ねえ、今度の

日曜、ナツミおばさん家行こう、リエちゃんのセーラー服で写真撮影しよう!」

「…何か用事あって来たんじゃないの?」

「あ、そうだった。牛乳買って来て。切らしちゃった」

 

  7月の19時なんて時間は、まだ明るい。僕は近所のコンビニで済ませようとしたが、高いからスーパーに行けと

言われて、自転車に跨がった。遠出ついでに駅のほうを回ってみる。例の喫茶店の前を通る。もう辞めたんだっ

け?

「あ」会長が表を掃いている。水を流し乍ら?「会長、まだ辞めてなかったんすね」

「おー副会長。いや、辞めたよ。きょうは寄っただけ。きみ、チャリ通だったっけ」

「いえ、電車ですよ。一回帰宅しました」制服のままだった。そう言えば会長もここのじゃなく高校の制服だっ

た。「なんで働いてるんすか?」

「ちょっとここにゲロがあってね」恥じらいの無いやつだな。「みんな忙しそうだから…あっ!」急に叫ぶので、ちょっと

退く。

「な、なんすか」

「水野、此処でバイトせえへん?  わたし辞めて次の人決まらないらしくて、人手不足なんだって」

「また会長の後釜作戦すか」

「帰宅部で、予備校行ってなかったよね確か」

「そんな話、しましたっけ…まあそうですけど」

「あ、でも首席ってことは家でガリ勉かな」

「て言われて、ハイと言う人居ないと思う」笑う。少し考え、「夏休みは予備校行きますけど、日時が合えばやり

ますよ、まあ採用になるか問題ですけど」

「おお!  んっとね、基本は5時から8時…閉店業務終わるまでだから、8時半くらいまでかな、土日は早くから

入ってもいいのね、わたしは火水土日やってたの。わたしの後とは言っても、その曜日だめでも他の人と変われると

思う。時給は870円、悪くはないでしょ?」

「おれのほうは、大丈夫そうです」

「お、やったー!」すぐさま僕を自転車から引き摺り下ろして、腕を掴んで中へ入る。忙しそうなマスターに会長が

簡単に説明をしたら喜んでくださり、明日履歴書を持って来て曜日の相談をすることになった。採用は決定らしい

()

「初バイトだ」

「これできみも、親のでなく自分のお金でデートに行けるね!」

「はあ?」くっそう、飽迄自分相手とは思ってないな。しかしきょうはよく触られるなあ、腕も組まれちゃったよオイ…

ニヤニヤしてしまう。

  牛乳を買って帰ると、おかんに

「おっそーい、おなか空いちゃったよ」と言われた。まあ、ちょっと油売ってたからな…。そして、学校より前にこの人の

許可を得なければならないことに突然気づく。

「…駅の近くの、常盤木茶館(ときわぎさかん)って知ってる?」

「ああ、勿論」

「なに、勿論て」

「おかあさん、駅ビルのカルチャースクール行ってるじゃない」

「ああ、蜻蛉玉教室、駅ビルなんだ」

「帰りに受講生の何人かでお茶して来るの、ほぼあそこ」

「え、じゃあお気に入りなんだ?」

「うん、週1回のたのしみね」

「おれ、あそこでバイトするかも」

「あらすてき!」いとも簡単に許可が降りる。「あの制服着たらカッコよさそう!  もう少し背が高ければねえ、おとう

さんも低いからしょうがないかあ」ほっといてくれ、気にしてるのに。

「明日面接行って来る。コネだから、ほぼ決定みたいだけど。

「へー、コネって?」

「生徒会長がやってて、辞めたから」

「受験とかかしら、まあいいけど、やってた人も生徒会、それなら安心ね。面接って、履歴書は?」

「買って来たよ、あ、これは自分の小遣いで買ったよ」おかんは、おつりと牛乳を受け取ってキッチンに移動、カウン

ターから苦笑した顔を見せる。

「律儀ねえ。書き方わからなかったら聞きなさいよ、へんなの出さないでね。写真はあるの?」

「生徒手帳の撮ったら、数枚くれたから、それにしとく。それでいいよね」

「それがええで!」いきなり大阪弁。会長か。そのとき携帯が鳴り、見ると会長からメールが来ていた。一斉メールで

会議の連絡などは来ていたが、個人的に来たのは初めてだった。

“次期会長くん。バイトの曜日決まったら、教えてな。時間できたら行っちゃうで〜”…時間無いから辞めたんだろ

がい。

 翌日面接で曜日が決まると、即返信した。

“まだ立候補するって言ってまへんがなー。バイトは水木土日。待ってます”…待ってますなんて、やばかったかな。

何時間かして、返事が来る。

“わたしの推薦となれば、当選確定じゃー。どっちもたのしみにしてるでー”

 バイトはなんとかなりそうだが、生徒会長は後釜がつとまるのか、頗る不安だった。

 

 

4、sarah

 

  夏休みに入り、バイトと予備校で毎日が回り始めた。バイト先でも予備校でもよく話題になった。モデル

sarahはすごい人気だ。悠有も好きだし、話題になるので顔をよくよく見れば、一般論的に美形なのは認め

られた。フリフリを着てオンナオンナしているが、同性からも人気があるらしい。雑誌の表紙もCMも彼女ばかり

だ。周りの話題の中心。

  久しぶりに悠有の家に遊びに行くと、部屋にでっかいポスターが貼ってあった。

「なんか、らしくないな。どーしたの」

「そう?  今までここまでガツンと来るの居なかったからね」

「結衣さんも呆れてない?」

「はじめは確かにどうしたのって言ってたけど、最近納得してるよ。結衣も一緒にファン」

「はあ…」しかしポスターはなあ。そう言えば、きょう結衣さんの気配が無い。久しぶりに会うかと思ったのに

(会える、とは敢えて言わない)。そう考えると、心を読むように、悠有は言った。

「結衣、きょうデートなんだ」

「へー。カレシ居るんだね」よしよし、傷ついてはいない。

「うん、できたばっかり」声のトーンが落ちる。シスコンとしては複雑か。「弟として祝福したいのはヤマヤマなん

だけど、相手がさー」

「なに、やな奴なん?」

「いや、完璧も完璧。覚えてる?  堀田って」

「え、中学の? 堀田先生?」頷かれる。「覚えてる、美術の、いい先生だよね確かに。だけどずいぶん

年上?」

「29だって」結衣さんは確か誕生日5月だから、17歳か。干支1周上かあ。年上趣味かあ。「付き合う

ようになって報告があって聞いたんだけど、結衣のほうがずうっと好きでね、あの先生と居たくて風紀委員

とか、部活は家事で諦めたけど必修クラブ3年間美術とか、だったんだって。この前再会して、打ち明けたら

ちょっと待たされてオッケーだったみたい。ちょっと複雑なんだよねー」

sarah狂って、それに関係あるわけ?」

「なんでやねん。無いよ」

「そう?  おれからしたら、会長より結衣さんのほうが雰囲気かぶるけど」

「確かにあんな服は、多香子サマより結衣のほうがまだ似合うよな。あんなフリフリ着ないけど」笑う。「てか、

結衣は姉じゃん、彼女は妹ってかんじかなあ。たぶん、同じ歳か1こ下くらいだと思うんだよね。姉代わりでは

ない」

「そう」

「いいよねー、この細いサラッサラの髪、ほどよく茶色で、たぶん色抜いてないよね、地毛でこの色だと思うん

だよ。目なんかつぶらでさあ、茶色の度合いも、色白なのを取っても、色素全体に薄めでさあ。ほっそりしてて

さあ」

「あれまあ、分析入っちゃったよ」

「滅多にテレビ出ないけどたまに出るやん、控えめでおとなしくておしとやかでさ、声もキンキンしてないし、言う

ことも知的なんだよね。若いのに落ち着いてるっつーか」

「ふうん」

「色素薄いって言えば、多香子サマもそうだよね。やっぱ似てるよ」

「そーかなあ」

「様子、見に来るのか? バイト」

「いや、全然」

「何が忙しいやら」

「…なんかオマエ、知ってるみたいな物言いだな」

「知るわけない。そこまで仲良くないよ」仲良いからほんとは知ってるんだ、くらいに聞こえる。僕は悠有から

視線を外し、溜息をつく。メール貰っても頭撫でられても、何が忙しいのかは言ってくれないのだ。

 

  帰ると、おかんがリビングでテレビを観ていた。

「おかへりー。ねえねえ、この子、超いいわよねー。たけちゃんのお嫁さんは、こんな子がいいなあ」

「嫁って…」いつの話だ。観ているのは、sarahだった。こんなおばはんまで魅了するとは、侮れぬ奴。

  彼女は、デザイナー白石久志専属で、彼の服しか着ない。この番組は彼のブランド`Q´の新作発表

会の中継だった。なんでそんなことを知ってるのかと言うと、これが始まるから一緒に観ないなら帰れ、と

悠有の家を追い出されたからだ。結局うちで観ちゃったな()。寄り道もして来たので、発表は終わり、

何人か居るモデルのうちsarahだけがインタビューを受けているところだった。

「こういうお仕事なのはいただけないけど、彼女、こんなに可愛いのに言うことがしっかりしてるっていうか、

聞いてて気分がいいのよ。きっと頭がいいのね」

「へー」

「…そりゃああなたから見たら誰でもばかなんでしょうけど。全く、なんでおとうさんとわたしから、高峯トップ入学

する子なんて生まれるのかしらー」

「誰でもばかなんて思うか」失礼な。

「まあまあ、観なさいよ」

「いいよおれは」キッチンに入り、ニアウオーターを飲む。「!」ちょっと離れてテレビを観ると、確かに悠有の言葉

通り、sarahが会長に見えた。あの顔はまさに、だ。「ねえ、これって生放送だよね?」おかんは振り向きもせず

テレビに食いついたまま、

「んー」と言う。うん、だと判断。思わず、会長に電話する。3コールくらいで、出た。

『もしもーし』sarahはテレビに居る。

「あ…す、すみません、間違えました」おかんはチラリとこちらを見て、電話だとわかるとまたテレビに目を戻した。

『何しとんねーん』笑ってる。

「ほんとすみません、お忙しいところ。じゃあ、また…」

『ちょっと待ったー!』ねるとんか。『あのさ、ちょっと相談があるんだけど、いつか都合合うかな』

「また会長の後釜作戦ですか?」言いながら、ドキリとする。今夏休みだぞ? どこで会うん? ふたりで

会うん?

『…うん。もう予備校行ってる? 時間あるかなあ』

「会長のほうが忙しいんじゃないすか?  例えばいつがいいでしょう」鞄からシフト表と予備校の予定表を出す。

『んーと』会長のほうも、手帳をめくる音。『31日の夕方とか、どうかな』

「バッチリです。午前中模試であと暇です」言いながら悲しくなる。なんて暇なんだ僕は!

『ほんとに? じゃあお願い。鳥羽駅、4時なら行けると思う。西口のモスでもいいかな』

「はい」

『31日の4時に、モス鳥羽西口店っと』手帳に書いてるらしい。僕も予備校の予定の、模試の横に書いた。

『貰った電話でごめんね。じゃあそのときにねー』

「はい」しか言えんのか僕はー!  電話が切れる。思わずガッツポーズ。次期会長は不安だが、これはすごく

いい!()  テレビではいつの間にか、インタビューがデザイナー白石久志に切り替わっていた。

 

  約束のその日、午前中で模試が終わり、鳥羽まで戻って来てもうちに帰る気にはなれず、マックで昼を

食べ、図書館で勉強をして、10分前にモスに着くように行った。アイスコーヒーを買って、2階の見つけ易い

席に座る。会長はまだ居ない。メールで席を報告。参考書とか見てるとガリ勉と思われそうだから、携帯で

サイトを見ていた。

  4時になる。会長は来ない。まあ、4時に行けると思うって言ったから、忙しいのだろう。サイト見てると電池が

減り、連絡が受けられないかもしれないから、携帯は見えるところに置いて本を読むことにした。会長はなかなか

来ない。連絡も無い。

「朝の4時だったなんて、オチは無いよな…」呟きながら、何かあったんじゃないかと心配する気持ちと、から

かわれたのかと疑う気持ちとが交錯した。まあ、普段の会長から考えると、いくら僕を好きでなくても、後者は

無いだろう。

“どうかしましたか?  大丈夫ですか?”メール送信時刻は、6時半。見つけ易い席にしたのが祟り、ゴミを

集めに来る店員がチラチラ見てる気がした。被害妄想かもだけど。流石に3時間てなあ、と、7時に店を出る。

なんとなく帰る気にはなれず、モスの入口が見える公園のベンチに腰掛けた。うちには遅くなるかもと言って来た

から、連絡はしないでいい。と考えたら、腹も減ってきた。あー、追加注文すればもうちょっと居られたかー。

まあ、もう少しこのままでいいか。日が沈んだとは言え、暑いなあ。

  8時過ぎ、やっと電話が鳴った。ディスプレイに会長と出る。

「もしもしっ」やけにでかい声になってしまう。

『水野ー、ほんとごめんなさい!』走っているらしき声と音。

「いや、いいんですけど、連絡できないくらいだったんですか? まあ、無事ならいいんですがね?」

『申し訳無い…仕事勝手に延長されてて…あ、ていうか、もう帰っちゃったよね?  話してて大丈夫?』息

切れしてる。

「モスの前の公園に居ますよ」

『ほんとに…? もーほんと…』

「よければ待ってますよ、相談はやっぱりあるんでしょ。会長は、今どこです?」

『でも、1時間くらいかかっちゃうよ』

「いいですよ。またいつか、にしたら、会長は忙しいんでしょ、いつ会えるかわからないじゃないですか」

『……』

「気をつけて来てくださいね、モスの前の公園に居ますから」切ってしまう。というか、僕はどうしても会いたいのだ。

夏休みに入ったから、1週間ちょい会ってないのだ。

  更に1時間して、約束より5時間過ぎて、ようやっと会長が現れた。駅のほうから走って来るのは、いつもの

ふたつ結わきに制服じゃないから、最初だれだかわからなかった。というか、白いパーカーに紺のジャージに

茶色のサンダルというミスマッチ、ザンバラな肩までの髪、汗だくの顔が近付いて来ても、暗いし暫くだれだか

わかりにくかった。

「あー会長…」間抜けな声が出る。「お疲れさまです」

「ごめん、ほんとにごめんね…」意外にも、泣き出してしまった。

「泣かなくても! おれはきょう、暇だったし。まあ、休んでくださいよ」ベンチを示すと、2メートルくらい離れた

ところに止まっていたが、すごい勢いでベンチに、僕の隣に倒れるように座った。「だ、大丈夫ですか」見ると、

腕には畳んだ服が抱えられていた。モスグリーンのギンガムチェックの、いかにも会長が着そうなシャツらしき

ものと、白いズボンらしきもの。こっちが私服だよね? これにそのサンダルなら解る、なんて、Tシャツにワーク

パンツの僕に言われたくないか。実はバスケとかの名手で、全国選抜チームでしごかれていたわけ?

  近くの自販機で飲み物に買って渡す。お金を出す要らないのやりとりのあと、会長は一口飲み、

「相談なんだけど」と唐突に切り出した。

「え、あ、はい」

「生徒会の話じゃなくて、今して来た仕事の話なの」

「はあ」話してくれるんだ。こちらをチラリと見てからまた前を向いて、涙を拭いながら話し出す。「困ってたみたい

だから引き受けたんだけど、性に合わないし、弟も受験生なのに家事に追われちゃうし、辞めたいと思ったの。

しかも今日なんか黙って延長するし、夕ごはんが出て来て初めて気付いて、これ休憩着なんだけどこれに

着替えてトイレ行くふりして抜け出して来たわけ」

「ありゃ」会長なら直談判しそうなのに。「頼んだ人は、会長が辞めたら困っちゃうんですよね?」

「そう、かなり。水野なら、どうする?」

「量や頻度を減らしてもらうとか…そういうのは無理なんですか?」

「……あのね」堪忍したように、会長は切り出す。「やっぱりここを話さないと、だめだわ。ほんとは秘密なんだけど

…わたしね、今、sarahをやってるの」

「!!!!!」

 

 

5、白石久志事情

 

「悠有が似てるって言うけど、まさかほんとに?  で、でも、今やってるって…」

「ホンモノは従妹なんだけど、生来の心臓の病気で入院してて、その代わりなの」

「替え玉…」

「水野が知ってるだけでも、かなり働いてるでしょ」確かに。「減らすって…可能なのかなあ」

「そーゆーのって、半年先とかまで決まってそう…周りの人は、今売れてるモデルに辞められたら困るだろーなー」

「変わったって、バレる?  悠有くんとか、まさにわたしだって、確信してる?」

「おれは実は、sarahの顔よく知らなくて、最近やたらに話題になるなあって見始めたくらいだから、おれは

基準にはならないです。悠有は変わったとは言ってなくて、似てるって…あ、きょうの約束したあの日、すみ

ません、間違え電話ってのは嘘で…うちで母がsarahのテレビ見てたんですけど、悠有に感化されたせいか

会長に似てるなあと思って、生放送だっていうから電話したんです。会長出たから違うんだなって」

「あれは確かに生放送だったんだけど、インタビューの部分をね、ワイドショー的に何回も流してたらしい。

わたしはあのとき、控室に居た」

「なるほど。じゃあ、悠有がまた言ったら、電話をネタに揉み消します。だから、似てる話は大丈夫」

「日本中に嘘ついてるのは、どうかな」

「嘘…っていうか、秘密じゃない? 大体ホンモノだって正体不明なんでしょ、それが神秘的でいいってんで

ファンも増えてるんだから、いいんじゃないすか」

「そうか…」

「嘘にしたって、いい嘘だってあるし。だれかを庇うとかね。みんながsarah見てうっとりできるんなら、いいこと

してるんですよ。うちの母も好きみたいですけど、従妹さんだろーが会長だろーが、文句は言わないと思い

ますよ」

「そうか…」

「だからそれは気にしないでいいと思いますが、問題は、会長がモデルの仕事辛いとかきらいならってとこです」

「う…うん」

「生徒会の仕事はほんとたのしそうですよね。僕が知ってるsarahって、つまんなそうですけど、あれはキャラ

ですか?」

「それもあるけど、ぶっちゃけつまんない」笑う。「モデル自体体力要るしたいへんだけど、全部周りの人にやって

もらってだからね…莉沙良(りさら)が…あ、ホンモノね、あの子がモデルでわたしがマネージャーとか、スタッフなら

いいんだろうな、きっと。叔父の服は普段着ないようなのだけど好きは好きだし、それを売るとか」

「らしい。生徒会の仕事だって、全校生徒のたのしい学校生活のバックアップですもんね」

「そーなんよ! 水野なら解ってくれると思った」

 話は尽きず、10時を回ってしまったので、送りがてら話すことにした。聞いていくと、白石久志というデザイ

ナーはおかあさんの弟、叔父さんで、ホンモノはそのひとり娘なのだそうな。残念ながら回復の見込み無し、

つまりは替え玉が永久にってこともありえる。

 うちのほうに向かって歩き途中で曲がり、小学校の学区は違う方向へ来て少しすると、会長が

「げ、叔父の車!」と言った。視線の方向に、まっ黄色のスポーツカーが停まっていた。

「え、ここ、会長の家?」

「こっちの公団ね」と指差したほうからではなく、車からいきなり人が出てきた。この前テレビで見たばかりの白石

久志!

「多香子!」

「わ、こっちに居たの?!」ひょろっとした流石は芸術家というなりの有名デザイナーは、僕を一瞥して

「カレシとデートなんかしてる暇は無いはずだが!」と静かだが厳しい声を出した。

「いや、おれ、違います」慌てて否定。

「そんな思い切り否定する? フツー」睨まれる。

「おまえが急に消えて、何人の人が困ったと思ってる? 逃がしたマネージャーは解雇だ」

「えっ、マツキさんは、何も知らない、わたしが勝手に…」

「知らなくても、責任を全うできない人間は使えない」き、厳しい!  会長は明らかにショックを受けているが、

強気に出た。

「予定の時間を無断で延長するから、無断で出て来たまでです。マツキさんも時間外です、解雇を訂正

してください。配られたプリントという証拠もあります」

「多香子、芸能界というのは時間通り終わるほうが珍しい、そういう理屈は通らない」

「じゃあ叔父さんは、人を5時間待たせるのは、芸能界なら仕方無いって言うんですね。そんな非常識な

ところに、居たくないです。マツキさんと一緒に、解雇してください」うわー、これは正しいけど、怒っちゃうよ…。

白石久志が反論できずにいると、会長は畳み掛けた。「それにわたし、この人に全部話した」

「なに、全部!?」

「結論は出てないけど、かなり励まされた。叔父さんも、この人くらい大人になったらどう?」ちょっとちょっと、

なんつー言い方!

「さっきおかあさんやミノルとも話してきた」しかし白石久志は平然と話し出した。「相原家からおまえを取り

上げて、やはりちょっとたいへんなようだな。まあミノルは、家事をやってるせいにして勉強しないのはたのしそう

だったが」ミノルって、弟か。「だから期限を設けることにした」

「期限?」

「8月30日に、莉沙良の手術をする。可能性は五分五分、死んだら急死という形でsarahの存在を抹消

する。生き長らえても、療養という形で休息、復帰後は本人に出てもらう。つまりは、8月31日の元町の件

までがおまえの仕事だ。それまでは延長や変更もあるだろうが、従ってくれないと周りに迷惑をかける」

「……」会長は僕のほうを不安そうに見た。

「1カ月なら、我慢できます?  それなら、いい条件だと思いますけど」そう言うと、会長は頷いて、

「わかりました」と答えた。「それ以上はやりません、この人証人ですから、約束は守ってくださいね」

「わかっている。きみ」僕を見た。「きょうはそんなに待たせてすまなかった。が、わたしたちの秘密は…」

「無論口外しません」

「それから、手術までは仲良くしないでもらいたい」

「はあ」したくても、カレシではないからな。

「じゃあ頼んだよ、明日からまた宜しくな、sarah」車に戻り、大きなエンジン音で去って行く。

「近所迷惑…水野、巻き込んでごめん」

「いや、べつに。でもよかったですね、あと1カ月になって」

「ほんと、ほっとした」

「どーでもいーけど、白石久志って、言い辛い」

「だから`Q´なのだ」

「へ?」

「留学してたときに周りの人たちがシライシもヒサシも呼び辛いってことで、ヒサを読み替えたキュウって渾名に

したんだって。それがそのまま、ブランド名」

「そうだったんだ」笑う。

「全くいつまで経ってもこどもでね、ほんときみのほうが余程おとなだと思うわ」

「いや、おれはべつに…」

「ほんときょうは、迷惑かけて申し訳無かった」急にまとめられてビックリ。

「え、あ、はい。じゃあ、明日からもがんばって」

「じゃあ」一度行きかけて、またこちらを見た。

「ん?」

「…いや、なんでもない…」

「…会長、おれでよければ、また相談してくださいよ。結論は出ないかもしれないけど、いろいろ、一緒に考える

ことはできるから」会長は、だんだん複雑な顔になっていく。な、何かへんなこと言ったかな…。しかしすぐに

笑顔になった。

「ありがとう!」そして手を振って公団の中に消えた。

  ありがとう、だった。僕はちょっと、感激した。そして気づく。10月の総選挙、続投できるやんけ!

 

 

6、書記論

 

  予備校で知った顔に会う。生徒会で一緒の、雨宮いつき。書記である。確か悠有と同じクラスだったはず。

生徒会でしか関わりが無い上、全然喋らないやつなんで、話したこともなかったが、予備校で会って思わず

「おう」と手を挙げてしまった。

「…ども」なんとも薄い反応をして去る。あいつ、会長に対しては、朗らかなんだけどな。特徴のある字と絵で、

会報は好評を博しているが、発言は求められなければしないし、存在は薄い。あの激戦を勝ち抜いて来たとは

思えない冷め方。僕を会長にとみんなが盛り上がったときは、そこにいてクスクスと笑うのみ。賛成もしなければ、

僕を扱き下ろしもしない。何を考えているんだか、判りづらいやつだ。学校の最寄り駅なので、学校の仲間で

今まで喋ったことのないやつらも来ていて、予備校で会えば「あーA組の!」とか「生徒会の!」とか「楽器持って

歩いてるよね、ブラバンなんだ?」とか「名前なんて言うの?」とかから始まり仲良くなるのに、あいつは気づいて

から見ると、いつもひとり。まあ、勉強しに来てるんだから、いいんだけどさ。

  と思っていたら、僕のところへ来た。赤チャートを開いて、

「ごめん、ここ教えて。なんでこうなるの?」と聞いて来た。昨日やったところだったので、僕は自分のノートと

見比べ、

「あー。この部分まるまる写し忘れてるよ。これあれば解るんじゃん?」と言う。雨宮はぎょっとして

「そんなばかなことしてたんだ、わたし!」と言い、その部分を写した。「サンキュー、助かった!」意外にも、

かるーくサンキューだし、会長にしか見せないような笑顔で、自分の席のほうへ去って行く。

「ちょっと、ちょっと、なんか怪しくねー!?」学校の仲間が集まってきた。

「雨宮が誰かと喋ってるなんてー、しかもあんな笑顔で!」

「生徒会で一緒だからじゃない?」僕は苦笑する。

「えっ、あいつ生徒会だっけ」…だよね。

「生徒会、仲いいもんなー」

「あいつもさー、パッと見悪くないんだから、いつもあーならいいのに」同感。小柄でショートカットで、一見活発

そう。しかしいつも`あっそ´ってかんじなんだよね。

  そしてバイトはお盆休みだが予備校はあって、試験とかもあるが会長となんかメールは続いていて、その日も

来ていたので折り返し電車で座ってゆっくり読んでいると、隣に人が座り、ちょっとぶつかった。

「あ、すみません」

「ぶつかったのはわたしなのに、なんで水野が謝るの?」雨宮だった。

「…ああ」雨宮は座り直して、少し離れた。小学生男子みたいな私服。

「この線だったんだ。駅、どこ?」

「鳥羽」

「会長と一緒なんだ!」きょうはよく喋るなあ。

「中学の先輩だったんだ。最近知ったけど」

「へー、そーなんだ。わたし、御田(おんだ)

「そうだったんだ。今まで一緒にならなかったね」

「一条は見かけてたけど」

「あいつはおれと違って目立つからね。近所なんだ、幼馴染み」

「へー。同じクラスでもないのに一緒に居ると思ってたんだよねー」そう話しているうちに電車は出発し、鳥羽に

着いた。

「じゃあまた」立ち上がり降りる。

「待って、わたしも降りる」ホームに降りて来る。

「おまえん家、御田って言わなかったっけ」

「水野の家に遊びに行く」

「はあ!?」

「いいでしょ、行こ」

「よくねー!」

「あ、誤解されて困る人が居るね?」

「何をばかなことを…」

「じゃあ部屋が汚い」

「悪いけど、めっさきれいだよ」

「じゃーええやん。西口?」

「ちょっと待て」携帯を取り出し、うちに電話。だれも出ない…。「今うち、だれも居ないからまず…」

「なんでまずいの?  この格好なら、男友達に見えるし」

「いや、あのさ…」なんでこんなに我儘なんだよー()

「水野なら、襲いかかって来たりしないでしょ。まあ来たら来たでいいし」

「よくない! あ、ちょっと待て」もう1件電話。4コールで出る!  おー流石親友!

『おー、なんや?』

「悠有、頼む、今からうちに来てくれ! おれもすぐ帰るから」小声で頼む。雨宮は住宅地図を見て、

「会長と同じ中学ってことはー」と呟いている。

『えー、今、風呂掃除してんねんけどー』

「そこをなんとかっ!」

『わかったよ。今行く』…あっさり折れてくれちゃう。す、すまん…。

  勝手について来る雨宮とうちに帰ると、もう悠有が来ていた。

「あれっ、同じクラスの…雨宮だっけ」悠有はすっとんきょうな声を出す。

「ちょっとーどーゆーことこれ!?  わたしが水野を好きだと誤解されちゃうじゃん!」

「そこまで言えばだれも誤解せんわ。ごめん、悠有、うちに来るって聞かなくて」

「なんだそんなことかよ。おまえ、雨宮に襲われとけ」帰ろうとするので引き留める。

「まあまあ、3人でもいいよ。入ろ、入ろ」先に門扉を開ける雨宮。おまえが言うな!

  鍵を開けて中に入ると、悠有は勝手知ったるで2階の僕の部屋に雨宮を案内する。キッチンで飲み物を

用意して部屋へ運ぶと、ふたりはエアコンをつけて折り畳みテーブルを出して寛いでいた。

「ほんと、部屋きれいだね」

「A型だからねー」悠有は茶化す。

「A…そんなとこまで会長と一緒なんだ」

「多香子サマ、Aかー」聞いたことなかった。へーそうなんだ。

「一条は、O?」

「あたりー。雨宮はAB?」

「なんでよ、Oよ」なんか血液型の話で盛り上がっている。僕は机の上に鞄を置き、テーブルの空いているとこに

座るが、なんとなくふたりが話し、僕は聞いていた。話はなんか、会長の話になってる。

「なんで会長の話ばっかしてんの」

「3人共通の知り合いって言ったら、多香子サマやんけ。まー先生とかでもいいんだけどさ」

  て言っているところで、僕の携帯が鳴る。机の上の鞄からストラップが出ており、一番近い雨宮が抜き出して

こちらへよこす。

「どーも」ディスプレイを見て蒼白になる。`相原会長´…見られたかな。「ごめん、ちょっと失礼」部屋を出る。

通話ボタンを押しながらドアを閉めるときにちらりと雨宮を見ると、もう悠有との話に戻っていた。ほっとして「もし

もし」と出る。階段の最上段に腰掛け、「ども、元気ですか」などと言う。にやけてしまう。

『きょうって土曜日だけど、バイトは入ってる?』

「いえ、お盆は休みなんですよ。知りませんでした?」

『えー、去年はやったんだよ? 今年は休むのかー』

「去年は休まなかったんですか」

『残念、行こうとしたのに』

「もう仕事終わったんですか?」

『うん、しかもホンモノの見舞いまで行って。まだ5時だから、行こうかなって。働いてたら出ないかなと思いつつね』

「今、どこなんですか」

『まだ新宿だけどね。水野は? 家?』

「はい」と答えた瞬間、部屋のドアが開き、びくっとする。「トイレ借りるよ、場所は聞いた!」でっかい声で雨宮が

言い、僕の脇を通り下へ降りて行く。

『…だれか居るんだ?』嘘をついても仕方無い。

「今のは、雨宮。あと、悠有も居るから」`から´って、言い訳がましかったかな…。

『へー』あ、どーでもよさそー…。

「会長も来ませんか」紛れて誘ってみる。「あいつら、会長の話ばっかしてるみたいで」

『みたいって』

「なんかおれは入っていけないほど、ふたりが盛り上がってて」

『だれん家だい!』笑ってる。『でも、いいよ。先輩が行ったらシラけるでしょ』

「え、あ、そんなことは…」

『まー遠慮せず若い者同士で盛り上がりナサイ、じゃあまたね!』切れてしまう。あー、なんて勿体無いことを!

  落ち込みつつ部屋に戻ると、悠有が半笑いで待っていた。

「あやしーなー。だれ、今の電話」

「何が怪しいのさ」

「だって、おれら居るから切るわけでもないし、ここで話さないでわざわざ出て行くし」

「目上の人だったから」

「雨宮の機嫌も悪くなるし、おれは相原多香子と見たね」

「…そうだよ」

「やーっぱり、おまえは多香子サマが好きなんだな!」

「はあ?!  なんでそーなる?」

「見てりゃわかるってー。いいんだよ、隠さないで。おにーさんになんでもお話し!」

「意味わからん」取り合わないようにするが、悠有は満面の笑みで続ける。

「多香子サマ、何だって?  電話貰えるなんて、いいかんぢぢゃん、ナニ、もー付き合ってるんか?  マイっ

たなコリャ」

「ちびまる子の父みたいだな、おまえ」

「付き合ってるんだろ、白状しろーっ!」

「うわっ」いきなりアッパーされて、倒れる。「何す…」絶妙のタイミングで、ドアが開く。雨宮が呆れた顔で見て

いる。

「―――あんたら、デキてんだ?」うひゃー、まさに、押し倒されてるー!

「それもいいな」悠有はふざけて言う。

「じゃー、邪魔者は帰るわ。またねー」雨宮は荷物を持って帰って行く…なんなんぢゃ。

「よーわからんやつ」悠有は僕に乗ったまま言うので、小突く。

「早くどいてくれ!」

 

 

7、見解

 

「はじめおまえかと思ったけど、雨宮の本命は、相原多香子と見たね」お盆明けの予備校の講義にいつの

間にか申し込んでいた悠有が、隣の席で真剣な顔で言う。

「それって、レズってこと?」それにしても一番上のクラスに入れるとは、やはり悠有、勉強してるな。

「そう。たまには居るからさ。それで、多香子サマが気に入っている、次期会長にまで押すおまえに近づき、

ぶっ殺す機会を狙っているわけだ」

「ぶっ殺されんのか、おれ」笑う。

「笑ってる場合じゃねーぞ、あーゆー陰湿な女は…」口をつぐむ。入口に、雨宮の姿が見えた。こちらを見ても

いないが、いつもの辺りに座って、荷物を整える。それから、ぐるっと教室を見回し、僕らを見つけると表情は

変えずに立ち上がる。ノートを持ってこちらに来た。

「おはよ」無言で来るから、こちらから言う。

「おはよう。一条も来ることにしたんだ、今まで居なかったよね」

「ああ。宿題も終わったしね」

「うそ、あの鬼・小貫特製数学ドリルも!?」雨宮が初めて表情を変えて驚く。僕も相当驚いたが。

「うん。だっておれ、予備校の勉強はしてないし。その分の時間でできるじゃん」

「それにしたって、やりたくないよ…あ、時間無くなっちゃう、ごめん、水野、この訳合ってるか見て」予習らしい。

「んー。あー、きょうは訳が1文抜けて…」

「えっ、うそ!」

「ウソウソ。合ってるよ。ただ、関係代名詞をさ」

「何そのウソー」

「1回切ったほうが解りやすい。たとえばこんなん」自分のノートを見せる。

「おー、なるほどー。すごい解りやすい!」教室中の人間が振り返るほどの大声を出す。極端なんだよ、

おまえはー。「いつも思うけど、水野の字はきれいだね」

「書記に言われて光栄ですな。悠有はもっときれいだけどね」

「そーなんだ」急に振られてびっくりしつつ、悠有は

「おれは師範代だよ」と切り返しが流石だ。

「何そんなにー? あ、先生だ。サンキュー、またよろしく」自分の席へ戻る。悠有は

「やっぱ健大かなあ」と呟く。それは困る、勘弁だ。聞こえないフリで、テキストを出す。先生は入口で事務の

人に捕まっているので、喋り続けた。

「てか、おまえもう宿題終わったって、すごいな」

「だっておれ、結衣とQのファッションショー行ったらくらいで、何もしてないもん、おまえはバイトもここもあるから

遊んでくれないし」誘われてもいないけどね?  てか、そんなの行ったんかい。しかもお姉さんとって! 「あと

31日にショップオープンのイベント見に行ってー、写真集買ってー」

sarah三昧だな」

「31日の、一緒に行く?  横浜元町ショップの…」

「いや、いいよ…」なんとなく脱力感。先生が入って来て、講義が始まる。あ、元町31日って、白石久志が

言ってたやつかあ。会長の最後の仕事。まあ、しかし確かバイトだ。

 

  翌日はバイトで、帰りに何気無くコンビニに寄ると、並んでる雑誌の表紙が全てsarahなので、カタマって

しまう。これはニセモノ、なんだろうなあ。代わったなんて全然わからない、て、ホンモノの頃はろくに知らないん

だけど。

  僕の想い人は、カリスマ生徒会長。仕事師で剽軽者の部分を見事に隠し、すっかりモデルになりきっていた。

たいていQの服はふりふり系だし、おとなしそうに癒し系な顔をしているし、まるで別人だ。普段肩までの直毛を

ふたつに括って元気にしているこの人が、つけ毛をして腰までのクリクリのロングヘアになる。テレビや電車の中

吊り広告で、殆ど毎日、この人を見ている。でも僕は。ほんとの相原多香子に会いたかった。なぜかインチキ

大阪弁で大笑いし乍らバリバリ生徒会の仕事をする、ホンモノの相原多香子に会いたかった。

  涙がこぼれそうになり、慌ててコンビニを出た。その瞬間、携帯が鳴る。会長のメールだ!  着信音を特別に

設定したので判り、急いで見る。この何日か、返事が無くて心配していたのだ。

“おひさー。ごめんね、携帯取り上げられてたんだ。軽井沢ハマりから、帰って来たよ。あとで細かいことは返事

するなり”いろいろ書きたい気持ちを抑え、

“おつかれ”とだけ打った。送信ボタンを押したところで、

「水野!」と会長の声がする。驚いて、後ろを見ると、ホンモノの相原多香子が居た。sarahとはとても思え

ない、いつものふたつ結わきに、すんごいらしい私服、灰色と紺のしましまのTシャツに白い膝丈オーバーオールに

ブルーのバッシュ。会長のボストンバックから着信音。取り出して、「水野からだ。返事ありがとう」などとにっこりして

くれちゃう。僕は堪らなくなって、思わず数メートル先に居た会長に走り寄り、抱き締めてしまった。会ったのはあの

約束した日、声を聞いたのは悠有と雨宮がうちに来た日以来だった。

「先輩、会いたかった…」思わずそんなふうに言ってしまう。周りの人が見てるかも、ごめんなさい…とか思った

が、もう後には引けない。バレた、気持ちが全部バレた。

 会長の鞄が落ちる音がして、なんと背中に会長の腕の温もりを感じた。えーっ、抱き返してくれてる?!

「…わたしも。わたしも会いたかった…」なんとー!  会長のほうから一歩後退り離れ、鞄を拾いながら「もー

また元気づけられちゃったよ」と言う。あれ? 元気づけって? これはちょっと、通じていないかもしれない。

しらばっくれるか、いや、押すか。

「あの、おれ、世の中の人はsarahを見て舞い上がってるけど、おれは先輩でないとだめです。最初から先輩

しか見てなくて、入学式のときからずっと…」そこで、真剣に聞いてくれていたのにいきなり噴き出した。

「ちょっと!  入学式ったら、アフロヅラにサングラスでジャージじゃないの!」ゲラゲラ笑う。

「えーでもほんとにあれから…」

「ほんときみは面白い! そういうところが、わたしは好き。あと、解ってくれるところね」

  塾帰りらしき小学生の集団が、ヒューと冷やかしてくる。

「わ、送って行きます」僕は会長の腕を引っ張り、逃げるようにその場を離れた。会長に一度手を振り払われ

ガーンとしたら、うれしいことに手を繋いでくれた。ちょっとちょっと、意外に女の子なんじゃないか。

  いかにもキョーレツで、見るしかないみたいに始まった恋は、唐突に実ってしまった。逆に、この展開について

いけるのか、不安だった。

 

 

8、新展開

 

  「きょう、雨宮居ないな」悠有に言われて、ようやく雨宮がいつも座っている辺りに目を遣り、居ないことに

気づいた。予備校のその日の授業が全て終わったところだけど、周りなんか見てなかった。

「あーほんとだ」

「おれが怒らせたからかも」

「へ?」

「昨日ね」昨日は理系特進クラスのみ、悠有と雨宮は取ってないはず。「偶然、本屋で会ったのだ、で、なんか

機嫌悪くて突っかかってくるから険悪になって。で、話の流れでレズ疑惑を」

「ま、まぢ!?」

「否定はされない、かなり怒ったみたいに一瞬見えたけど、前におまえん家から帰って行ったときみたいなふう

だから、よくわかんないんだよね」

「違ったらけっこーな侮辱じゃないの」

「うん、だから電話してみたいんだけど、番号知ってる?」

「勿論。生徒会役員のはみんな登録してある」

「ちょっとかけてみていいかな」なんかやたらに反省モードだな。まあ、勿論、反対する理由は何も無い。人気の

無い

ところに移動して、雨宮の番号を呼び出す。かなり待って、留守電にもならないから切ろうとしたら、やっと出た。

『はい』うわ、めっさ機嫌悪そう。

「あーごめん、水野だけど」

『わかってるよ。ディスプレイに出るでしょ。またなんで謝るわけ』

「いや、突然電話したからさ」

『で、何?』

「ちょっと代わる」携帯を悠有に渡す。

「一条だけど、昨日はすまなかった、きょう謝ろうと思ったら居ないから。どうした? …あ、そうなんだ。大丈夫? 

…あ、うん。ぢゃーまた明日」悠有が珍しくカチンコチン。切って、携帯をよこす。「サンキュ。もー、あんなつっけんどん

ちゃんはキライ!  なんかねえ、きょうは腹痛で、そんでべつに怒ってないって」

「それならよかったね」と言いながら、それって怒ってねーか?と勘繰る。

 予備校に居ると学校の友達も居たりするから、悠有とふたりになるのは久しぶりだった。先へ歩き始めた悠有に、

雨宮の話は置いておき、あのさーと声をかけると

「ん?」と振り返って「なに、多香子サマと付き合い始めた?」と聞いてくる。

「な、なんで知ってんの!? てか、まさに今それを言おーとして」

「だって、両想いなのは知ってたし」…やなやつだな。

「そーか、付き合い始めたか、おめでとう!」僕の肩をバンバン叩く。

「一応内緒にな、バレたらバレたでいいんだけど、なんか役員同士の間は」

「わかった。因みに、おまえの初恋の相手も知ってるんだ」

「えっ」

「結衣だろ」知ってたんかい!

「べつに言ってくれりゃー協力したのに。まあ、今はそれでよかったな。初恋は実らぬものよ、おれもそうだった」

「え、初恋って…」

「水野久仁子さん」

「うちのおかんやんけ、嘘だろ!」

「うん、嘘」

「…」

  悠有と電車に乗って帰る。鳥羽で降りると、改札のとこに雨宮が居た。

「あれ、大丈夫なん?」

「うん。逆に1日予備校行かなかったから、そっちのほうが不安で。一条、時間あったらきょうのとこ教えてくれない?」

「へ、おれ?」

「水野は5時からバイトでしょ」よくご存知で…。心を読むように「部屋でシフト表見たから」と言う。確かに、貼ってある

からね。「バイト先は一条に聞いた。一条の家でもいいけど、水野のバイト先でもいいよ」

「いいよ、常盤田茶館行こう」悠有はおもしろがり始めている。さっきまでカチンコチンだったくせに。

 僕はへんに時間が余るし用意をしていなかったしで、喫茶店に直行するふたりと別れて、一度帰宅した。家では

水野久仁子がテレビを観ていた。

「おかえりー。ねー、きょうバイトあったわよね。おとうさんと夕飯の時間一緒だから助かるわ。これでいい?」テレビの

画面を示す。料理番組らしい。

「こんな過程で言われても…なにこれ」

「赤城鶏で作る贅沢シシカバブ升田麻子風、あ、たぶん普通の鶏肉になる」

「…いいんじゃない」どんなのかわかるかー!ってツッコめばたのしい会話になるだろうに、なんで親に対してはこうなっ

ちゃうんだか。しかし、悠有の冗談はあながち嘘ではないかも。少なくとも、こんなフツーな母親でも、憧れはあった

かも。だって悠有には、おかあさん居ないんだし。今更急に、夏休み前半悠有をほっといて悪かったかなと思う。べつに

おかあさんの代わりなんかなれないけど、なんとなくそう思いながら、バイトへ行く。

「お、来たな」悠有と雨宮は真面目に勉強しているようで、それだけ言うと僕に構わずまたテキストに目を落とした。

暫くしてから、「追加注文お願いしまーす」と僕を呼びつける。

「さっきてんこもりのいただいちゃったから、おれは正真正銘アイスコーヒーで」

「わたしは正真正銘アイスストレートティー」

「正真正銘アイスコーヒーと正真正銘アイスストレートティーをおひとつずつ、かしこまりました」

「甘いのはまた今度、是非是非」笑う。

「お伝えいたします」勉強は終わったのか、談笑している。昨日は険悪だったんだよね?() そして30分くらいして、

帰って行く。雨が降り始めていたが、ふたりとも折り畳みを持っていて相合い傘こそしないものの、ちょっといいかんじに

見えた。夜電話して言うたる。

 電話はかける前に、悠有のほうからかかってきた。

『雨宮ねー、やっぱ怒ってたわ』笑いながら言うから大したこと無いのだろう。『多香子サマ大好きには変わりないみたい

なんだけど、自分でも恋愛かもって悩んだ時期があったらしい』

「そ、そうなんだ…」

『まー、あんだけキョーレツだとね』それは否めない…。『尊敬なのかなんなのか、自分は男なんじゃとか…最近よく

話題になるじゃない、その病気』

「うん、性同一性障害だっけ」

『そう、それ。で、生徒会で話題になったらしいね、おまえと多香子サマが似てるって』

「…ああ」

『だから、おまえなら好きになれるんじゃないかって、近づいてみたらしい』

「なるほど!  でもやっぱ全然違ったんじゃない?」笑う。

『みんなの言わんとすることは解るけど、自分からしてみたら全然似てないって、おまえはおまえでいいやつだよねって

言ってたけど』

「よく言われるよ…」

『結局よくわかんないんだって。今まで何もかもどーでもよかったのに、なんか今はすべてが気になって仕方ない、苛々

してしょーがないって悩んでたところに、おれが図星突くようなこと言って、ムカついたって。だけどおれが悪いわけでは

ないからと、ひねくれた態度を謝ってきた』

「ほう。改善するって?」

『いや、またやったらゴメン、だって』

「オーイ」呆れる。

『でも基本的には、おまえやおれと居るとたのしいって。時々仲間に入れてくれたらうれしいってさ』

「ふうん…」

『水野には言わないでねって言われたから、言ったの内緒な』

「えっ、オイオイ」言っちゃうんかい。「まさか、会長とおれが付き合ってるって…」

『それは言わないよ。火に油だし、キミとの約束は破ったことないでしょーが』

「それは確かに無い」有難いことに。

『まー、ちゃんと恋愛してる健大くん、恋愛とはなんたるかを雨宮に教えてあげナサイ』

「なんでおれが…きょうちょっといいかんぢだったぞ、おまえが慰めたれ」

『おれにはsarahが居るもーん。あ、明日はいよいよ元町ショップオープン! たーのーしーみー』

「あっそ…」

『もう整理券は捌けたらしいから、おまえはテレビでたのしめ』中継あるんだ…見ちゃうじゃん…。

 

  その夜、エアコンを消して寝ていたせいか、目が覚めてしまった。暗闇でエアコンをつけるか迷っていたら、机から

何かがバサッと落ちる音がした。なんだ?  机の上のものは全部片付けたはず。電気を点けようと起き上がると、

風に棚引くカーテンのところに、白い影があった。会長…いや、sarahだ。

「ほんもの…」口にした瞬間、消えた。しかも、窓は確かに網戸にしていたが、無風だ。なのにカーテン、棚引いて

たぞ。電気を点けると、見覚えの無いノートが落ちていた。表紙に、

 

古文 2-C 相原多香子

 

と書いてある。

「会長の?  なんで…」新品で使ったかんじがしないので、表紙をめくってみるが、やはり何も書いてない。また風が

来て、ページが捲れる。…まんなかのページに、文字があった。

 

箒星は逢いに行く、南のひとり星

 

  …確か、数年前に流行った芝居の名セリフだ。

 会長の字にも見える、青いインクの文字。を見ていたが、目の端に棚の上の携帯が点滅しているのが見えた。サイ

レントにしていて気づかなかったが、会長から電話の着信履歴だった。メッセージは残っていない。着信0時40分、

今1時5分、どうする、こんな時間だ。寝ていたら悪いが、一応かけてみる。すぐに出た。

『もしもし』

「すみません遅くなって。寝てました?」

『いや、こちらこそごめんね、遅くに』

「急ぎかと思って返してしまいました」

『いや、あの、…莉沙良が…ホンモノが死んでしまって、それでごめん、声が聞きたくなって』

「あ…手術でしたっけ…」

『手術そのものは成功したんだけど、数時間後に拒否反応…合併症で…だめだった』

「…そうでしたか…月並みですが、元気出してくださいね。明日の最後の仕事こなして、よく休んで…って、学校か…」

『わはは、そうだね』

「ちゃんと辞められそうですか」

『うん、大丈夫みたい。スケジュール入れられてない』

「ならよかった」まあ、悠有は可哀想なことになるが。「あ、さっき、sarahらしき影、見ました。亡くなって、幽霊かな…

なんで此処へ来たんだろう」

『あー、わたしね、今まで申し訳無くて黙ってたんだけど、きょう手術成功したから言っちゃったの。カレシできたって。

莉沙良も早く元気になって、カレシ作りなよって』照れるなーカレシだなんて。

「そっか、それで見に来たのか。あ、あとノートも…先輩の名前書いてある、古文の」

『その言い方は、判ってますね、敏腕副会長。わたしの字を真似して、莉沙良が書いたもので、わたしのではない。

わたしみたいに学校に行って、生徒会とかたのしくやりたいって言ってた。真似して書くのとか、不健康だと思ったけど、

やめなよって言えなかった』

「そうなんだ…」

『まんなかのページに、お芝居の台詞があったでしょ』

「ああ、はい」

『彼女が中1のときに、好きになった人が居てね。わたしが知ってる限り、最初で最後の恋。自分は病気で動けない

から、彼のほうから逢いに来てくれたらって想いとシンクロして、好きな言葉だったみたいよ』会長の声に疲れが見える。

「なるほど…会長、今、どこに居るんですか」

『横浜の叔父の家。莉沙良の死に目には会えなかったの。此処で聞いた。明日は…あーもう今日か…此処から

最後の仕事へ』

「無理しないでくださいね」

『わたしは死にやしないけど…また元気付けてくれてありがとう』

「おれ何もしてないっすよ」体育祭のときとおんなじだ。

『…水野って、わたしのこと会長って呼んでたっけ』

「会長とか先輩とか」

『だよね、そろそろ名前呼び捨てにしなよ』

「えっ…」しかし生徒会では…。

『相原って』

「……」

 

9、ラストシークレット

 

 翌朝は午後からバイトだったので10時に起きて居間に行くと、おかんは

「なんで今起きるー!」とふざけて怒ってみせる。

「なんで怒る…ああ、今からなんだ。いいよ、自分でやるから観てなよ」テレビでちょうど、例のQのイベントが始まる

ところだった。そうだ、この人もファンだった。

「あらそーお?」過保護じゃないかと心配になるこのおかん、きょうは息子よりsarahをとる()。充実野菜をグラスに

つぎ、ヨーグルトと食パンとマーガリンを出し、ダイニングテーブルへ。やはりテレビ、観てしまう。会長、いや、sarah

新しい店のバルコニーに出て来て、すごい歓声となる。

『あとでまた、登場していただきます!』アナウンサーが歓声に負けじと叫びCMへ。

「かわいいわよねー、あんな顔だったらなー」しみじみ言っている。「まあ、顔はいいんだけど。またあの知的なインタ

ビューの返答が聞けるのねー。あー、あんな子がたけちゃんのお嫁さんで来たら、どーしよー」また言ってる。しかし。

うまくすればなるかもよ。「全然興味無いってかんじねー」

「無くはないよ」無いわけが無い。カノジョだし。何気に観る気満々だし。

  CMが終わり、おかんはまたテレビに観入る。まあそのうち、紹介するから。似てるってびっくりするかな、と思うと

笑える。

『すごいです、今回の警備員の人数、3桁だそうです。厳戒体制と言ってもいいでしょう。間も無く10時、Q横浜元町

ショップの開店です』アナウンサーは嬉々として語り、そのうちに10時の鐘が鳴る。この店には、鐘もあるんかい!  白石

久志がテープカットをし、拍手の中、店の扉が開く。整理券順に案内されて、取材の人一般の人が中に入る。商品の

棚は壁際のものだけにし、警備員が張るその内側に人が並ぶ。店なので、パリコレみたいにはやらないそうです、と

アナウンサーが断りを入れたように、奥のほうをステージに見立てたファッションショーが始まる。モデルの最後に会長が

出て来る。会長は前に、ウォーキングの練習をしたとメールに書いて来ていた。敢えてパリコレのモデルみたいな歩き方は

しない、ピアノの発表会に出て来る少女たちみたいに、初々しく、きっちりと、が理想だと可笑しそうに書いていたっけ。

それぞれがそんなふうに5回ずつ服を換えて出て来て、最後に全員、当然、センター、大歓声。そして白石久志と

会長だけ記者会見、ステージに籐の椅子と観葉植物が用意され、ふたりが登場、前のほうを陣取っている記者たちが

インタビュー攻撃する。

『今回は元町ショップのために、先生がこのチェックを使った服をたくさん作られまして、わたしたちは元町チェックと

呼んで、好んで着ています』と会長が立ち上がってスカートを広げてみせたりする。言い方は生徒会長のときとなんら

変わらない。普通アイドルとかだったら、「このチェックの服、もーかわいくって、みんな大好きなんですー」とか言うだろう

に。そしてやっぱり声が低い。

『あ、sarahさん、ちょっとそのままで!』声がかかり、すごいフラッシュに。口角は上がっているが、決して笑っては

いない。ふつうニッコリして、首かしげたり上目遣いしたりするよねー?!  可笑しくて噴き出してしまう。

「何か可笑しい?」おかんは訝しそうに振り返る。

『自分では気づかなかったんですけど、吉祥寺ショップのときは水玉をたくさん使ってたらしいんですよ。この子が吉祥寺

ドット、元町チェックと言い出したら、モデルやスタッフの間で流行っちゃって』白石久志は愉しそうに言う。『これからも、

どこかストライプとか、やって行こうかなんて、アイデア貰っちゃいました』

『勿論、吉祥寺ドットも好きですよ、合わせては着られなくて残念ですけど』何気なく笑いをとるところは、やはり会長。

あとはできたてのsarah写真集を宣伝したりして、捌け際の最後の質問。

sarahさん、恋はしていますか?』みんながすごい興味を抱いて彼女を見る。僕は自然と、居ませんと存在を消される

覚悟をした。

 しかし彼女は。

『はい、してます』きっぱりと言い、会場がどよめく。白石久志の蒼白な顔も映る。『Qの服に、恋をしています』最後に

初めて、めいっぱいの笑顔になった。その決定的瞬間を捉えた記者が居たら、天才だと思う。

 ふたりは引っ込んだ。

『11時半から13時まではお店を一時閉めて商品を入れて、13時からオープンバーゲンをするそうです。今いらして

いる皆さんは、中華街で使える割引券を貰っているそうで、お昼を食べてから買いたい人は時間を潰して戻って来ら

れるような気配りも万全です。こちらも中継は終了します、ショップのオープンイベントをお伝えしました』アナウンサーは

説明する。…1時間半、全部観ちゃったよ。おかんに突っ込まれると思ったらそんなことはなく、ただsarahを褒めちぎっ

ていた。

  会長に

“最後の仕事、テレビで観ました。完璧すぎです、最後の言葉も、Qの専属モデルとして100点ではないですか。

素晴らしすぎる! お疲れさまでした! 気づいたのですが、後期も会長できますね!”とメールして、バイトへ行く。

 そこへ悠有と結衣さんが来て、また褒め言葉を聞かされた。やはり近くでは見えないらしく、あれは多香子サマだ

なんて、もう言ってはいなかった。しかし可哀想に…数日後に、sarahは急死するのだ…。

 

 

10、現実

 

  翌日、始業式。会長からの返事で予告された通り、大掃除のあと生徒会役員は集められて、

「忙しくなくなったので、後期も生徒会できることになりまして。会長に立候補するか、この前の話のように水野を

会長にして後押しするのを副会長になってするかを考えています。いい案があったら、言ってくださいね。きょうは、

夏休み明けの顔合わせってことで、明日の実力テストに備えて解散!」そして会長自らぱっと帰ってしまう。みんな、

それもいいなー、とか、やっぱできるなら会長やってもらわねー?とか言っている。僕は議論に加わらずに荷物を

まとめた。目の前を雨宮が通って扉のほうへ。少しして僕も出て行くと、扉の外では雨宮と悠有がゲラゲラ笑っていた。

笑いながら半泣きで、

「水野ならまだ中に…」と雨宮が振り返った。「あ、居た。じゃーね」

「じゃーねー」手を振り合っている。

「なに、みょーに愉しそうぢゃん」

「ノックしよーとしたら出て来たから、額をコンコンって」まだ笑ってる。

「そりゃー笑うわな。で、迎えに来てくれたん?」

「うん、でも今更気づいたけど、カノジョと一緒に帰るか」

「考えもしてなかった、あっちもさっさと行っちゃうし」と言った途端、窓から、渡り廊下を走っている会長が見え

た。「あれ、図書館に行くのかな」うちの高校は図書室でなく、大学みたいに図書館として別棟になっていて、会長が

走っていたところは図書館へ行く渡り廊下だ。

「なんか生徒会の仕事? 手伝わなくていいん?」

「何も言われてないけど」

「行ってみよっか」悠有から言ってくれたので、行ってみる。自習コーナーを覗くと、一番奥に会長が居た。

「何か仕事ですか?」

「わっ」隠そうとしたが、見えてしまう。夏休みの宿題の山。

「ひょえー、もしかして…」そうだよな、できるわけないよ。

「忙しいって言ってましたもんねー。健大、手伝ってやれよ」悠有は僕を会長のほうに押し出す。

「2年生のなんて、わかるかな」

「おまえならできるだろ、じゃあ、おれは、sarahの写真集、予約してあるから取りに行くわ」さっさと居なくなる。

「げっ」小さく会長が漏らす。「あれ、全部わたしなんだよね」

「軽井沢のでしたっけ。後で見せてもらお」

「やめて〜」

「あ、これは訳せばいいんですよね、できそうです。あ、英作文も学年関係無さそう。英語関係はやっとくんで、あとで

自分の字で写してくださいね」

「す、すまないねー…」

「今年はしょうがないですよ、事情知ってるから計画性無いとか思わないし」

「すまないねー」

「帰りにローソンでアイスでいいです」

「もー、10個でも100個でも」

 従妹とどれくらい仲良かったのかわからないけれど、とりあえずは元気そうでよかった。目の前のことこなすので精一杯

なのかもしれないけど。

 

  sarahの訃報は、9月4日に発表された。心臓発作で急死と。学校に居る間に噂は入って来て、すぐに悠有の

クラスを訪ねたら、雨宮が早退したよと教えてくれた。とりあえず僕は授業は全部受けてから、急いで悠有の家へ

行く。結衣さんも、弟の早退を予測して早退して来ていた。

「悠有、たけちゃん来てくれたよ」ノックして、どうぞと通してくれた。エアコンをつけていないのでむあっと暑い部屋で、

悠有は制服のまま突っ伏して寝ていた。sarahのポスターは、剥がれて床に落ちている。

「あっついよ!」僕は勝手にエアコンのスイッチを入れる。「悠有…なんて言ったらいいのか…」

「…まあ、夏が終わったくらいに思えばいいか、所詮芸能人なんだし」急に仰向けになって喋り出すので、驚愕。「おれ

さー、恋できないじゃん」と寝たままこちらを見る。

「て言ってたね」

「親父見ててさ、愛する人が、自分の手で救えずに死んでいってしまう、残され方をしてたから、あんなふうになるなら

最初から愛さなければいいって思って、避けていたんだよね。で、芸能人ならさ、向き合うことなんかないし、傷つか

ないと思ったんだ。でもやっぱ、残されるのは辛い、傷は結局ついた!」笑う。「全然知らない子に等しいのに、確実に

恋はしていた」…ふ、複雑だなあ、実際は会長だからなあ…。僕は何も言わずに聞いていた。悠有の目尻から涙が

落ちるのも見た。

  sarah、ホンモノの莉沙良さん。ここに、あなたという箒星に逢いに来てほしいひとり星があります。…うまくいかない

ものだと思う。会長の従妹として、ふつうに出逢えていたら。

  悠有は起き上がって、居間に僕を引っ張っていった。アイスコーヒーでも飲んでけよ、と、もう笑顔になっていた。

「おれ、後期は生徒会立候補する」などと言い出す。

「へっ?」

「雨宮引き摺り降ろして、おれが書記になる。書道7段を売りにね」…まあ、好きにしてくれ。

 

  バイト先で見た新聞の号外が、急死の記事だった。あの最後の笑顔が載っていて、あれを撮れた記者が居たの

かと思ったら、バイト仲間もその写真を持っていて、聞くとあの番組をビデオに録って一時停止してデジカメで撮ったんだ

そうな…。聞けばyoutubeとかネットニュースの動画で流れてもいるらしいし。なーんだ。てか、それより。午前中に出た

号外の2号目、というのがあり、夕方出たそうだが、そこに息を飲む記事が!  sarahは生霊か幽霊?  白石

久志の娘正体説有力´替玉がバレる! 記事を見ると、そこまでは書いていなかった。娘の名前が白石莉沙良と

いうことは書いてあり、中学卒業アルバムの写真まで載っている。入院していて亡くなったばかりということまでバレて

いた。入院していたのに仕事をしていた、亡くなった次の日はテレビに出ていた、てなわけで、生霊と幽霊説が出た

わけだ。白石久志は詰め寄った記者たちの前でポロリと涙を落としただけで、黙って行ってしまったそうだ。時間の

問題でバレないかハラハラする。いや、バレること自体はまあいいとして、会長がまたモデルに戻ってしまったら…僕の

エゴであんまり会えないのは厭だし、会長自身も苦痛だと言うし、戻らないでほしいのだった。

  しかし僕の心配をよそに、替玉なんて話にも上がらなかった。会長は、お見舞いに行って、入院をバラした人には

見られてるだろうに、全然sarahとは結びつかないんじゃない?と笑う。後期は会長続投で僕は副会長、予告通り

立候補した悠有も、雨宮と一緒に書記で当選した。例の文化祭の後夜祭でのパラパラは決行で、ビデオを撮影して

各クラスに配布したり、忙しく毎日は過ぎて行く。文化祭、生徒会は異例に展示をすることになり、放課後準備をした。

組になって掲示物を作る。籤だったが会長と僕は運好くコンビになり、模造紙に書き付けることを考えたりする。生徒

会室から廊下に出て、出入口の装飾とかを考えていると、

「小学生の頃を思い出すなあ、学童クラブとか児童館で、行事と言えば張り切ってたクチなんだよね」と会長はしみじみ

言った。「将来こーゆー、イベント屋さんになって、いろいろやらかしたいと思っているのだ」

「将来…」まずい、僕は何も考えていないのだ。とりあえず得意な教科で入れる大学へ行こうくらいしか考えていない。

「水野は将来、やりたいことあるの?」来た…あー情けない、何も答えられない。

「まだ特には…」

「じゃあ一緒にイベント屋さんやろうよ」

「!」

「…プロポーズ聞いちゃった」雨宮がコンビの悠有と共に近くに居た。

「へ?  わたし、そんなつもり無く言っちゃったけど、確かにそう取れるね」会長は無邪気に笑う。「まあ、それでも

いいや。考えといてね」

「わーお」ふたりは大袈裟に驚いてみせる。「健大、勿論おっけーだよな?」

「…仕事についてはよく考えておきます」僕は努めて落ち着いて言う。プロポーズについては、まあ、そうならだけど、

勿論こちらからお願いしたいくらい。

「…てか、ふたりはつきあってるんですか?」雨宮は今気づいたらしい。

「うん」会長は無邪気だ。「ま、敢えては公表せんでな」雨宮が傷ついてないか、様子をうかがってしまう。

「っかー、お似合いー」社交辞令か、笑顔だった。「ふたりのイベント屋さんのチラシ、書きますから言ってくださいね。

一条には書かせないでくださいよ」

「なんでやねーん」                                                                                                

 

  そうやって僕らは、後期の間も幸せに過ごした。次に会長副会長を入れ替わり、僕は会長が卒業しても3年の

前期まで、入り浸った。

  僕らの青春の拠点は、生徒会室にあった。

 

 

                                                         了

 

 

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